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明日、5月17日(金)13時30分から2時間、早稲田大学で、わが畏友浜野喬士さんの博士論文公開審査が行われます。
すでに学界でその活躍がつとに知られる浜野さんですが、「そうか、博論まだだったのか!」と改めて驚きます。

リアルで「浜野くん」と呼んでしまうのは、私が10年近く前、かつて大学の博物館で助手をしていたときに、私の担当セクションのお仕事を1年余にわたりお手伝いいただいた縁があるからです。その頃はまだ博士課程に籍を置いておられましたが、とにかく彼がいてくれると仕事がさっくんさっくん進んで、ダメダメ助手だった私は毎日本当に助けていただきました。

この3月までは早稲田で同僚としていろいろとお世話になりました。
研究室がとなりだったので、茶話会をしたことも一度や二度ならず。
雑談をしていていつも心動かされたのは、「学問のための学問」に縁がないところ。
自分の研究が、人類のためになるということを、これ以上ないほどにシンプルな覚悟でもって自覚しているところでした。

彼はよく「爆読」という言葉を使います。lまったく、読みの密度とスピードと、それを脳内ハードディスクに落とし込むスピードの速さと確実さたるや・・・。彼の脳は、起きている時は常にフル稼働なのに違いありません。
集中力を維持できず、したがって読むスピードも研究の密度も・・・な私は、どうにもうまく言葉にできないような考え事にからめとられるたびに、浜野さんに相談したものです。
自分のきわめて個人的な考え事が、浜野データベース&浜野OSによって、たくさんの碩学の言葉を経由した表現へと「翻訳」されるたびに、堂々巡りの考え事が、ふと「止揚」されるのを感じ、つくづく有難かった。

自分が今でも東京にいたなら、そして授業がなかったなら、万難を排して駆けつけるつもりでしたが、残念ながらそれがかないません。
明日のご武運と、多数のギャラリーのサポートがありますよう、杜の都からお祈りしております!

かちっ、かちっ (火打石の音)

ちょっと気が早いが、「乾杯のワイン、ささやかですが、用意しといたよ」の体で、写真を一枚贐に。

【浜野喬士氏 博論公開審査会のお誘い】
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先日、街なかで、15歳で知り合った友に遭遇。声をかけられて仰天。
最後に会ったのはたしか10年くらい前だった。
前の前の職場で展示を開催したら、見に来てくれたのだ。
その前ももうかれこれ10年近く会っていなかったのだけど、どこでどう情報を得たのか、展示室で佇んでいる彼女を見つけたのだった。
でもその時は、忙しくて、あわただしくて、せっかく来てくれたのに全然話ができなかった。

彼女は全然、変わっていなかった。
私は、変わったかな? いや、変わっていないから、彼女はすぐ、わかってくれたんだな。
ちょっと、考え事をしながら歩いていたせいなのか、私のほうは声をかけられるまで彼女に気付かなかった。

たまたま少し時間があったので、2時間ほど、話した。
知り合ったのは30年前なのだけど、どうしてなのか、15歳の時の感覚そのままに、まるで前日まで毎日会っていた友であるかのように、話が弾んだ。

思えば彼女は、去年の1月に亡くなった恩師が引き合わせてくれたただひとりの友人だった。
恩師が亡くなってからというもの、筆舌に尽くしがたいほどにたくさん大事なことが起こった。
どうやら、恩師が今の私へと彼女を引き合わせてくれたものらしい。
たくさんのことがらの、その次へ行っていいよと、彼女を介して恩師に言われた、ということに、する。

若いころは、こういう「符号」に遭遇することは、それほど多くなかったのだが、年を少しずつとるほどに、「符号」のようなものからの無言のメッセージを受け取っているという感慨をもつ機会が増えてきた。
誰かの意志のようなものが、ふんわりと感じられる、無言のメッセージ。
怖くはない。ただ、背筋が伸びるような気がする。
普段よりももう少しだけ力がでるのだ、そういうメッセージを受け取ると。

少し、力を出して、5月以降、がんばろうっと。

先生、ありがとうございます。私ここにおります。もう少し、頑張りますよ。


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謹賀新年 今年もよろしくお願いいたします。

27日に成田を出てシカゴへ。昨日4日午後帰国しました。
暮れには地元のプロレスAAWと、あと舞台版「戦火の馬」を見てきました。
よい年末でした。
しかし31日から喉の痛みとともに一気に発熱、久々の高熱大会で、結局3日の朝まで寝倒しました。
途中10時間くらい起きて、メール打ちとちょっと仕事、みたいな感じ。

まあ大抵、インドにせよシカゴにせよ、私が行くとオット氏は体調を崩して3日くらい寝込んでは汗だくになって熱冷ましをするのが常なんですが、今回は初めて逆だったなあ。
お雑煮もおせちもつくらない、食べないお正月になってしまいました。
しかし、寝正月ってのはそれはそれで、とても贅沢では、あります。
いろいろありましたが、いいお正月でした。
インスタントぜんざい、卵入りうどん、クレモンティーヌ、お茶どさどさ、もろもろ、いろいろ、ありがとよっ 連れ合いっ

今日の時点でまだ喉は痛いけど、ようやく熱は下がりました。

ことしは「ときわ」に参りますので、どうぞ、よろしくお願い致します。
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いまだ大晦日のシカゴより、年末のご挨拶。
2011年のテーマが、「クラシック」
2012年のテーマが、「これを、ひらく」
でした。
2013年のテーマは、「ときわ」にします。

ときわ。
辞書を引きうつしてみます。
1 常に変わらない岩。
「皆人の命も我もみ吉野の滝の―の常ならぬかも」〈万・九二二〉
2 永久に変わらないこと。また、そのさま。
「大君は―にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして」〈万・四〇六四〉
3 常緑樹の葉がいつもその色を変えないこと。また、そのさま。常緑。
「―なる松の緑も春来れば今ひとしほの色増さりけり」〈古今・春上〉

わたしがこれまでにずっと、自分が捨てたい捨てたいと願いながら、心ならずも「ときわ」に持ち続けてきたもの、つまりは自分が捨てようとしてもそもそも捨てることなんてできっこなかったそのことを、自分の一番まんなかにある大事なものなのだと知ろう、といのが、今年のテーマです。
コペルニクス的転回であって、そんなことを、意識的にできるものなのか、わからないのですが。

それは何かというと・・・無理に言葉にするなら、「劣等感」だと思います。
(いや、こうしてひとつの単語にそれを置き換えてしまうことで、何かがするっと逃げてしまったような感じもまたするんですが・・・だから「  」にくくってみています)
この「劣等感」だけは、大学に受かっても、大学院に受かっても、就職ができても、結婚ができても、博士論文が書けても、授業アンケートで褒められても、振りほどくことができたことが、ただの一度もなかったんです。
ということは、どうもこの「劣等感」というやつは、私は墓場まで持っていかないといけないらしい。
もっと言うと、それは、「自分の一部」であるどころか、もっと自分そのもの、に近いものであるらしい。
ということに、2012年を過ごしてみて、気づきました。
なので、この劣等感を「ときわ」に持っているというそのことを、考え続ける1年にしてみようと思います。

そして「ときわ」は、私がこの1月に生む「子供」の名前でもあるんです笑
これについてはおいおい、お話していきます。

2012年に出会えたさまざまやそれぞれに有難うございました。
2013年に出会うことになるさまざまやそれぞれに、どうぞよろしくお願いします。

私の宝物とともに、Bonne annee a vous tous !
(姪っ子と写ってた写真、ひこめました~)
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こちらからお借りした画像です。
早稲田で、12月7日、フランス人イラストレーターフロラン・シャヴエのトークショーがあります。
通訳します(あーでもちょっと会場到着遅れるんだけどゴメンナサイ)。なんせ私が通訳するとグダグダになってしまうんだけど、なんかそのせいで会場の雰囲気が和むんだそうで、ご指名でございまして…いいんかそんなんで… いやまあ、いいんだろうな…。

日本語を殆ど解さないフランス人の観察眼が、日本の日常を如何に丁寧に紙の上に落とし込んでいるか、本当にこのシャヴエという人の仕事の丁寧さと、視線の先にあるものへの愛情には、吃驚させられます。
ご都合付く方は是非お運びください。
これはたぶん、かなり楽しいと思います。
私がちゃんとしてればですが笑

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絵描きの書く日本:「Tokyo Sanpo」「Manabe Shima」―フロラン・シャヴェを迎えて―
講師講師:フロラン シャヴェ(画家)
通訳:間瀬 幸江(早稲田大学文学学術院助教)
開催日2012/12/07(金)時間17:00 ~ 19:00
会場戸山キャンパス39号館6階第7会議室
対象者学生・大学院生・教職員・一般
参加申し込み費用入場無料・直接会場へ
主催早稲田大学文学学術院
お問い合わせ先早稲田大学文学部フランス文学コース
odussud@waseda.jp
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今はなき、早稲田大学第二文学部が、私の母校である。
夜学だったので、昼間はたっぷり時間があった。

ひょんなことでフランス語をやりたくなり、飯田橋にある日仏学院(今はアンスティチュ・フランセという、キーボード入力がしにくい名前に変わってしまった)に通う傍ら、ある会社で週5日働いていた。
働くと言っても、なあ・・・そんな、大したことはしてなかったのだけど・・・
それでも、19歳から23歳までの4年間、大学の4年間とほぼかぶる期間お世話になったから、私の母校は、早稲田の二文だけじゃなく、この会社でもあった、と思う。
いや、正直に言えば、大学で受けた授業よりも、その会社での経験のほうが、よほど鮮明に覚えているくらいだ。

ツイッターのおかげで、当時お世話になった方Kさんと連絡が取れ、今日は本当に久しぶりで、その会社に顔を出してきた。
顔を出すのは15年ぶり。
ということは、最後にお邪魔した時私はおそらく、29歳だったということだ。
当時お世話になった方々の多くが退職なさっていたけれど、うち何人かが、すっかり重役になって残っておられた。今日はそのなかの4人にお会いできた。

私が19だった時に、多分20代半ばだったKさんと、30代前半くらいだったIさん。
私が44になっているのだから、おふたりもその分お年を召したわけで・・・。

「人間、80歳くらいまで生きるとして、自分の人生はあと20年ほどなのだと考える。過ぎ去った20年の速さを思うと、残りの人生が本当に少ないのだと感じずにはいられない」と、15年前はおろか20年前とほとんど変わっておられないIさんがおっしゃった。
Iさん。フランス語の使い手で、あの会社で最前線でご活躍だった姿にあこがれて、わたしもフランス語が早くできるようになりたいと願った。
二十歳そこそこの懐かしい記憶だ。

わたしも、44になって、「あ、人生の後半戦の2回表に入ったんだな」と感じたものだけれども、わたしよりももう少し年長であるIさんとKさんはきっと、その思いがもっと強い。
「老い先」ということを最近つくづく思うと異口同音におっしゃった。

大学というところに勤めていると、若い人たちに囲まれているので、自分もけっこう若いような気持についなってしまっている。
まあ、私はけっこう童顔なので、年齢相応に(良くも悪くも)見てもらえないことはあるにはあるのだけれども、それでも、身体の衰えは、日を追うごとに少しずつ自覚せざるを得ない。

本当に得意なことに意識を集中して、それに本当に力を注がなくっちゃTと、お二人に近況報告に耳を傾けていただきながら、つくづく思った。

20代が20代だけで、40代が40代だけで、60代が60代だけでかちかちに凝り固まった人間づきあいとは、まったく別の次元の場所に行こうと思う。
超高齢化社会に突入して、しかも放射能を心配しないといけない、まさかまさかの21世紀の日本だけど、とんがった20代と受け身の40代が、血気盛んな60代と懐の深い20代が、あっちがわの20代とこっちがわの20代が、優柔不断の40代とレアリストの20代が、互いに予想外の出会いかたをし、そうした出会いがいくつもあるがゆえに、結果として皆が一瞬でもピカっと光るような、そういう場所を作ろうと思う。

独り言みたいなブログですみません。
1月13日に、あることを始動させようとしていて、そのための決意表明の、でも、独り言でした。

Iさん、Kさん、今日は本当にありがとうございました。
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ちょっと必要があって、親類縁者の数をカウントしなければならなくなった。
父方のほうは、消息が途切れがちになっているのでそもそも数えることができるだけの情報が少ないのだが、母方のほうは、どうにか数えられそうだなと思って、正の字を書いて数え始めた。

でも。
さっきから何回もやり直しているのだけれど、数が合わない。
祖父

母の配偶者 つまり私の父
私の兄弟姉妹
私の兄弟姉妹とその配偶者
私の兄弟姉妹とその配偶者のところに生まれた子供たち つまり私の甥姪

母の兄弟姉妹
母の兄弟姉妹の配偶者、つまり私の義理の叔父叔母
母の兄弟姉妹とその配偶者のところに生まれた子供たち つまり私の従姉弟たち
母の兄弟姉妹とその配偶者のところに生まれた子供たちの配偶者 つまり私の従姉弟たちの配偶者
そこに生まれた子供たち つまりわたしの・・・ん? はとこ?だっけ?

祖父がこの世に居なかったら、あるいは祖母と出会うことがなかったら、この世に存在していなかった人たちが、こんなにたくさんいるんだな。

そしてちょっとした感慨
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2012年のテーマは「これを、ひらく」
2011年のテーマは、「クラシック」
2010年のテーマは、「やりたい」
2009年は「過去と未来をつなぐ」
2008年は「恩返し」
2007年は「一矢を報いる」
2006年は「実りの年」

だった。
2012年は、確かに、これまでの私にはおよそ思いつきもしないような場所を経由した新しい回路が、幾つか拓かれた感じだ。
ガタピシとショートしてばかりではあるが、それらが拓かれた、ということがまず大事。
2013年のテーマ、はて、どうするべか・・・。
今ぱっと、思いついてるのは、「これを、はこぶ」なんだが・・・。
あるいは、「これを、むすぶ」でもいいかな・・・
でも「はこぶ」のほうが大事かな・・・

あるいは短いワードにもどるか・・・
「実践」とか。「踏み出す」とか。

悩ましい。
まだ少し時間があるから、しっかり悩もう。
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e0129547_19552899.jpg札幌でのシンポジウム、パリ第三の指導教授の来日講演通訳、月末の職場での日仏語での発表と、一ヵ月でこんなにやったら身体もたないんじゃないの?くらいの濃密な時間が、いったん終わった。
得たもの、学んだもの、教訓になったこと、あまりにいろいろありすぎて、ここには到底まとめられそうにない。
拙い通訳で、皆さんにはご迷惑をおかけしたし、発表の原稿がギリギリまで上がらなかったりなど、常にヒヤヒヤだった。
でも、いろいろと出会いがあったなあ。終わってみれば、楽しかった。
11月にはいって、これで空気の流れが変わりそうだ。いったん棚上げにしてきたもろもろのことも、きちんとしなければ。

ところで、1週間ほど前から、この忙しさのラストスパートの間隙をぬって、肉筆で一通、手紙を書こうとしていた。

Hermine Davidのアンニュイな様子に興味をひかれて続きを読む方はこちらを
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e0129547_1113852.jpg8時ちょい前を目指して家を出て職場に向かう途中、ちょっと考え事をしていてふと足もとに目をやったら、きらりと光る丸いものが。あれ?ひょっとしてビー玉かな?と思って手を伸ばしてみると、なにやらぬるりと冷たい感触。うわ、なに、食べ物?? でも、なんだかとても綺麗だったのと、その時の考え事の内容をできることなら忘れてしまいたくなかったのとで、そのまま拾い上げて地下鉄に乗車、職場の給湯室でぱぱっと洗って・・・。しばらく眺めていましたが、手が滑って、あららとヒビが入ってしまって残念。
 同僚のAさんが出勤してきたので尋ねたところ、なんでもこれはぷにょぷにょ玉というものだそうで、縁日などで、金魚すくいに見立てての「ぷにょぷにょ玉すくい」というのがあるらしい。ググってみたら、あるある、ありました。ちいちゃくて固い玉で売られていて、水につけると何倍もの大きさに膨れて、透明にキラキラ輝き、ぱっと見ビー玉みたいに見えるのだそうです。
 アマゾンで、お試し価格で100円くらいで売られてるのも見ました。夏場にこんなのがあったら、ちょっと涼やかかな。でも、次の夏はもう、あと8か月も先だですが・・・
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