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シャカイジンとしての一般常識に照らすとこの日記よりも優先順位が圧倒的に高い書きものがあるのだが、どうしても、今日のうちに、書いておきたい。
記憶が走り去って見えなくなってしまう前に。
「わたしのすがた」と「ところでアルトーさん」のこと。

まずは「わたしのすがた」について
あれ?これって今日が最終日だっけか? 違う気がする。
やっぱり内容には触れんどこう。
楽しめたか、楽しめなかったか、というと、よくわからない。
けれども、ひとつひとつのパーツに、すごく集中して見ることができた。
なぜ、集中することができたのか、わからない。
ひとつには、普段の生活ではみられない、さまざまな、すごいことが、舞台で繰り広げられていたから、だと思う。
ただ、ちょっと思ったのは・・・。
普段の生活ではみられない、さまざまなことを、舞台上でなら見ることができる、としても、それは、所詮は舞台の上の出来事であって、その「非日常性」は、わたしの生を侵食してはこなかった、そんな印象があった。
要するに、脳天をかち割られる感じがなかった。
要するに、わたしは、この作品には、出会えなかった、ということかもしれない…。
けれど、それなら、すごく集中して見た自分がいたという事実はどう説明されるべきか。
これも、わからない。
いずれにせよ、昨日見た地点「ところでアルトーさん」の記憶は、吹き飛ばされるどころか、今日もしっかとわたしの脳裏に鎮座している。
いや、鎮座している、という、印象がある、という状態というべきか。
F/Tのおかげで、「見るべきものを見ておこう」という向上心のようなものを一点集中で満たせるようになったのは、ものすごく喜ばしいことだ。
でも、F/Tだけでもイベントの量がハンパない。
行きたいと思うものの三分の一くらいしか行けない勘定だ。
大学でも11月は学会シーズン。
これまた、すごく行きたいものをあきらめたりした。
体力のある人は、あきらめずにハシゴして、見たいものの8割は見る!というつもりでがんばれるのだろうけれど、私はだめだあ、なさけないが・・・。

これはしょせん夢かもしれないけど、でも、言ってみよう。
11月の「パフォーミングアーツ狂想曲」「リベラルアーツ狂想曲」のテンションを、ひとつきではなく一年にならすことができたら。
いや、ことはそう簡単でないのは、わかる。
でも、たしかに、「あれ?今月あんまり舞台観てないような・・・」と思える月は、ある。
そういう月に、すこしでも分配できたら・・・。

いや、これは、観る側のわがままでもある。
収穫の秋こそ祭りが多いのは、そもそも当然なんだから。
だけど、どうすれば?

ただ、こうして逡巡しつつつも、はっきりしていることがひとつ。
こんな悩みは、20代のわたしは持っていなかった。
観たいという欲求が刈り込まれていたし、観なくてもあせらなかった。
これは、私が若かったからってだけじゃない気がする。
今のほうが、ぜったい、演劇は、面白い。面白いからこそ、「観られない」という悩みが浮上するんだ。
ということは、いっそ「観られない」くらいがちょうどいいのか、とも思ったりする。

わからない。
まだ東京公演終わっていないので、内容に触れる話はしないでおきますが。
しびれました。
安堂信也訳「演劇とその形而上学」(絶版)を図書館で全文コピーして自分で糊付けで簡易製本し、さあ!と2,3頁読んでもう全然ついていけなくなったのが今から20年前だったか。
その後、ポッシュ版も買い、再版され名前も「演劇とその分身」に変わったものも買った。
10年前、テーズを書く前に通読したが、ほどなくして、本の内容は記憶から抜け落ちてしまった。
そんなこんなで、アルトーに「出会った」ことがないまま20年。
でも、この舞台のせいで、この遅れてきた出会いがついに実現してしまったような、そんな感慨がありました。

終演後にご挨拶した三浦さん、そしてスタッフの田嶋さんは、メールや本などで「お会いしていた」イメージと、同じ雰囲気をかもしておられました。三浦さんがすらっと背の高い方だったということだけをのぞけば、頭のなかで思い描いていた感じと、お会いしての印象がほとんどおなじ。
この二つのイメージに差がない、ということが、かなり珍しいことであるということを、この年になって実感する昨今、むしろ意外で、そして、有難く嬉しい瞬間でありました。

後日レビューをUPしたいところ。
25日の講演つうか発表「イメージとのたたかい―フジタとジロドゥ:知られざる「邂逅」の物語」の準備がパツパツで、これが終わらないと書けないのが苦しいところだが・・・。
http://www.waseda.jp/bun/activities/lecture/
10月30日まで謎のヴェールに包まれ続けていた、飴屋法水「わたしのすがた」見てきました。
今日の今日、チケット情報が公開され、そして今日から催しもの本体がスタート、よって今日の分は希望者は、予約なしで現地に直接向かい、適宜チケットを買って入場、という流れ。
雨模様だったせいか、人が殺到する様子もなく、18時をゆうにまわっていましたが、入場OKでした。

全部見るのに1時間から2時間くらいかかります。2時間みてほうが、総合的に考えて、安心かも。
そして今日は、台風が来ていたせいもあって、長靴をはいて行きましたが、よかった、はいておいて。小雨くらいならいらないかもだけど、今日くらい、雨が一日降ったりやんだりした日は、長靴はいているほうが安心だった。特に夜は、ちょっと足場も悪いので・・・。

理解できるかできないか、という尺度でものを言うとしたら、これは、何回見たからって理解できるような作品ではないと思います。
でも、こういうものは、今もこれからも、そんなに簡単には見たり聞いたりできない、ということを、強く感じました。
不動産を使って、というコンセプトは、過去にikkennya museum(前田愛実さんたち)や、現在進行形の墨田区の旧アトレウス家、そして、わたしは見たことないのだけど、ほうほう堂なんかが、トライしてきたわけですが・・・。
そういう、他のアーティストによる作品が、人間の生きた身体が介入するつくりだったとすれば、この「わたしのすがた」は、生きた身体が使われないという意味で、特異な作品ってことになる。
でも、それじゃあ何の動きもないってことか、というと、全然そうじゃないわけで・・・。

会期中、もう一度行く必要があると思っています。
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