ウルトラミラクルラブストーリー [DVD]

VAP,INC(VAP)(D)

 
前の大学にいた頃、まだ専修に進級していない1年生を対象とした「選択基礎演習」というのを2年間担当した。今年は、この2年目のクラスにいた皆さんが、順当に行けば大学を卒業する年にあたっているはずで、感慨深いものがある。そういえば、あの学校の最後の授業が、このコマだった。
この授業の冒頭で、2年連続して、横浜聡子『ウルトラ・ミラクル・ラブストーリー』を見せてディスカッションをしたものだった。気づいたらあれから3年半が経過した。折も折、今の職場の4年ゼミ(つまりあの「選択基礎演習」2年目の皆さんと同じ学年ということだな)の面々と一緒に、3年半ぶりで昨日、この映画を見た。3年半前といえば、ちょうど濱口竜介レトロスぺクティヴが、今はなきオーディトリウム渋谷で開催されていた頃。あまりの熱量に、横浜聡子作品が、あのあと私の視界から消えてしまっていた、ということに、昨日、4年の面々に何を見せようかと考えていた折に思い出したのだった。「視界から消えた」という言い方は、実感として正しい。私が飽きたのでも忘れたのでもなく、ただ、視野から消え失せてしまっていたのだった。
はじめてこの作品を見たのはいつだっけかなあ。確かリトルモア地下で飴屋法水の「三人いる!」に通いつめていた時に、この映画のポスターを見たような気がするなあ。

今改めてこれを見て、つくづく、いい映画だなあと実感する。かつて見た時も好きで好きでたまらない作品だと思ったけど、今になってこれを見て、作品の奥にまでさらに深く潜った気がした。
昨日から今日にかけて、いろいろとほかの仕事をしつつ、昨日の作品鑑賞を振り返っていてふと気づいたこと。今日の今日まで、この「陽人」によく似た人が、私の周囲にはたくさんいるなあと思ってきたし、実際それはそのとおりなのだけれど、ひょっとしてひょっとすると、私のことをこの「陽人」に似ているって思っている人たちも、もしかするといるのかもしれない。自分では到底そんなこと考えられもしないし、むしろたくさんの「要人」と関わりながら生きているぶん自分は「町子」に近いよ、というのが主観的な思いだけれど、でも、人が私のことをどう考えているかなんて、私には全然わからない。意外にも「間瀬は陽人っぽいとこある」なんて、そんなふうに思われたりも、するのかもしれない。

それにしても(ネタバレ含む)
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2016年のテーマは「斥力を使え」にします。
今、3時間くらい考えて考えて、ストンと来ました。

斥力。類義語に、反発力というのがありますが、これだと妙に説明的で、しかも重要な部分が抜け落ちているように感じます。私が今イメージしている斥力とは、この「反発」とは似て非なるものです。

S極とS極、N極とN極を合わせようと力を入れれば入れるほど、しかも、力任せに接触させてみればみるほど実感される、けっして「合わない」、あの感じ。
「あっちの自分」と、まったく同じだからこそ、そこから離れようとする、あの感じ。
同じ極がそこにあるからこそ生じるあの逆向きへの力には、引力のピタッとした「わかりやすさ」とは全然違う強度がある。

引力は気持ちがよくて明快ですが、斥力には、そうした気持ちよさ、わかりやすさは、ありません。
でも、考えようによっては、斥力があるところでは、引力があるところと同じくらいには、私は誰かとともにいる、ということなんじゃ、ないかなあと。
それでも、脊髄反射的には、それは退けたいなにかだ、思ってしまう。
だから、命令形を使うことにしました。
「斥力を使う」ではなくて、「斥力を使え」にしたのはそうしたわけです。

この写真は、斥力を使いたいと私が思い至るところまで一緒に歩いてくれた、そして来年も一緒に歩いてくれるはずの、わが敬愛する引力たちのイメージです。

斥力を使え。

そういえば来年は私、年女なんです笑
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2015年は「稜線を行く」
2014年は「聞くを愛する」
2013年は「ときわ」
2012年は「これを、ひらく」
2011年は「クラシック」
2010年は「やりたい」
2009年は「過去と未来をつなぐ」
2008年は「恩返し」
2007年は「一矢を報いる」
2006年は「実りの年」

さて、2016年は・・・。
今のところ、「重心」という言葉をためつすがめつ、舌の上を転がしているところ。
たいてい、12月に思いついた言葉が、最後の最後に別の言葉に化ける。

これやり始めて11年目に入るのだな。
死ぬまでつづけることにしよう。

これを見るだけで、その年の自分のメインイベントたちをすぐに思い出せると今気づいた。
面白い。
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さる:親方、うまそうな黒豆ですぜ
親方:ああ、いかんいかん、まだ食うてはならん。
さる:いっこだけでも?
親方:いかん。これは正月にみなでいただくのじゃ。
さる:え~、けちっ
親方:来年はお前の年じゃのう。来年一年、丈夫で健康でいられるように、「まめ」でいられるようにと願って、正月に黒豆をいただくのじゃ
さる:(もぐ、もぐ、もしゃ、もしゃ)
親方:ああ、これ!つまみ食いはいかんっ

ふと気づけば私どうやら来年、年女らしいです。
35年前に亡くなった祖母が大事にしていたらしいこのさる使いの人形を、5年ほど前に亡くなった祖父から形見分けでいただいていたのを、今さっき思い出しました。
べつに自分の干支を意識したからこれをいただくことにしたわけではなかったけれども。

新年を迎える前に黒豆のつまみ食いをするこのちびっこいおさると親方のコンビ、これまではいつも家の本棚の片隅に置いているだけでしたが、来年は主役級の扱いにして、見えるところに置いて1年過ごそうなあと思います。
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12月13日に、職場で「第二回クリスマスマーケット」なるイベントを開催した。数ヶ月かけて準備してきて、たったの半日で終わった夢のような時間だった。

一回目だった昨年よりも規模を拡大して、関係ボランティアスタッフと本当に大車輪で準備をした。
ビギナーズラックを果たした一回目に負けまいと頑張ったことで、少し、イベントの「かたち」が出来たと思う。
「かたち」ができると、「かたち」になっていない部分やそこからもれた部分が、問題点として顕在化する。組織づくり、企画のブラッシュアップ、連絡系統・・・さまざまな問題点を受け止めて、第三回となる2016年版につなげたい。

以下は、そうした「真面目な」問題提起とはちょっと別の話。

今回、ほんとうのたくさんのプログラムが立ち上がったのだけど、そのなかに、私が同僚の一人と「共謀」(笑)し、ボランティアスタッフ数人に制作を依頼して実現した「ことばの紙片~12のささやき」というプログラムがあった。
これは、聖句でつくるおみくじのようなもの。
聖書のなかから12の言葉をピックアップして短冊に印刷し、それをくるりと丸めて紐でとめ、おみくじに見立てる。「クリスマスマーケット」なるものをキリスト教主義の大学で開催する以上は、ささやかでもキリスト教の「かけら」を来場者の皆さんにお分けできればと思いついた企画だった。

来場者の皆さんには、二種類の方法でこの「おみくじ」を引いていただいた。
ひとつめが、来場の感想のアンケート回収ボックスの横に、看板を小さく立てて、ひとつおとりください、とする方法。(thanks for the photo to HRN!) ふたつめは、キャンパスの中庭数箇所に置かれた、1㎥のキューブの中にも置いておいて、そこに遊びに入った来場者(特に子供達)に引いてもらう方法。(thanks for the photo to Nor. @bataco003)
ひとつめの案が功を奏したか、アンケートは目標だった、来場者数の1割の回収率に近づけることができた。まずは、良かった。

でも、予想外のことが起こったのは、ふたつめの案のほう。
キューブは8つおいた(声なき私信:9つ置くはずだったのけどゴメンなさい。9つめのも、別の場所で大事にされてます)。その中に、20センチ四方の箱をおいて、そこに「おみくじ」をたくさん入れた。

イベント終了後、おみくじ制作のリーダーのNMから、「キューブのおみくじ、全部なくなりました」との報告。

ええっ? うそでしょ?
だって、来場者数の三分の一にあたるくらいの分量をせっせと作ったのに、あれが全部なくなったの?
みんなどんだけキューブの前に行列作ったわけ???
知らないうちに、「ことばの紙片」は超人気アトラクションになってしまってたんか?あんな地味な企画が???

しばらく???が収まらずにおりましたが、そのあとで、別のスタッフから面白い情報が届きました。
「あの“おみくじ”ですけど、子供たちが中庭でコレクションして遊んでましたよ。両手にいっぱいおみくじ抱えて「ほら~!」なんて自慢してる子もいました」

は?
「おみくじ」だから、一つずつ引いていただくつもりだったんですけど・・・。

当初私が想定していたのはこんな情景。
こどもがひとつ、小さなロールに手をのばし、おずおずとそれを大人に差し出して
こども「ねえ、お母さん、こんなのみつけたよ、なんだろう」
母「あら、なにかしらね、あけてみようね」(あける)
こども「あら、これって聖書の言葉なのね、「神は愛なり、だって、わかる?」
母「えーわかんない」
こども「わかんないよね、まだ***には早いよね でもこれはね、神様の言葉なのよ」

なんつって、絵に描いたような情景を想像していたわけですが・・・
(なぜか親はきまって「母」ってのがいかにも紋切り型である)

しかるに、「おみくじ」をめぐって、中庭で実際に交わされていた会話(これも想像)はたぶん、そんなもんではなかったはずである!
こども1「わ、なんかある!」
こども2「え~」
こども1「あかない、あけてえ~」
こども2「うん」(ベリべり」)
こども1「は、なり」
こども2「神、は、愛、な、り」
こども1「これも~」
こども2(ベリベリべえり)「光、あ、れ、と。。あ、さっきとちがう。ほら、もういっこあけてみて。わたしほかの基地見てくる」(と言ってほかのキューブへ)
こども1(頑張ってみるけど開けられない)「あかなーい」(半泣き)
こども2(戻ってきて)「ほかの基地にもこんなにあった。あけるよっ」(べりべり、べりべり、べーりべり)
こども3(入ってきて)「ほら、5個みつけた、ちがうやつ」
こども2「え、すごい、全部ちがうの、すごい」
こども1「あかなーい」(こども2と3に相手にされず、やぶれかけた「おみくじ」を持って保護者のもとへ泣きながら去る)
こども2「わたしあっち見てくる」
こども3「わかった、おれそっち」
ーーーそして10分もしないうちに、すべてのおみくじがごっそり持って行かれたのでしたーーー

という感じだった、のではなかろうか。
ううむうう。神聖なる神の御言葉を、遊び道具にしておったな、ぬしらはあああ!
ひょっとして「ことばの紙片 12のささやき」は、「おみくじ」ではなく、トレーディングカードよろしく遊ばれていたのでは、ありませんかあ?
な、なんという・・・、素敵じゃないかっ!
なんだその笑っちゃう遊び方は!
そんなんこちとら想定してなかったっ!

さてはて、そうやって持って行かれた「おみくじ」たちは、今頃どこにいるのやら?
400くらいは、こんな顛末、あんな顛末で、お客様がお持ちかえりくださったはずです。
「中庭に紙のゴミがたくさん出て困った」という報告も、まだうけていないしなあ。
「こども1」の涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった一片のおみくじは、誰かの手に渡ったかしら。
それとも、「こども1」の涙とともに、リサイクルに出されているかな?

宮城学院第二回クリスマスマーケットの思い出は、たくさんたくさんあるけれど、その中でも、どこにもカテゴライズできそうにないこういうエピソードは、こっそりこうしてブログに書き残しておくのがいいかなと、一言認めました。

「ことばの紙片~12のささやき」の企画立案の参謀、YMTさんに、ここでウインクと感謝を。

みなさまよいお年をお迎えください。
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e0129547_2149542.jpg(DR : Florent Chavouet

授業での無駄話として、自分の高校生、大学生だった頃の話をする年齢になって久しい。

先日の授業では、高校生、大学生の頃、待ち合わせに2時間や3時間使うことはザラだった、という話をした。

たとえば、「日曜日の3時、駅の*番出口でね」なんて言い合って、仲間うちの4人で会う約束をするとしたら、
一人は、2時50分に、もうひとりが、3時3分くらいに、さらにもうひとりが3時15分くらいにやってくる。
3人目は、「ごめん~」と言いながら姿を見せる。いつもだと3時5分くらいに来る人間。最初のふたりは、3人目が遅刻の理由を自分たちに説明するのをうんうんと聞く。二人目が言う。
「あははは、大丈夫だよ。じゃ、行こうか、**まだ来ないだろうから」
「そだよね、だいたいいつも1時間半とかそのくらい遅れてるから」と一人目。
「うん、いつもそうなんだよね」と三人目。
四人目がいつも遅れてくる人間であることを了解していることと、三人が仲間として関わりを持っていることは、イコールではないにせよ、同じ地平にある事柄だったりとかするのだ。
そして、一旦待ち合わせの場所を離れて1時間やそこら楽しく過ごしてから、当初の待ち合わせ場所に戻って四人目を待っていると、四人目がやがて、走ってやって来るのだ。
「ごめんねえ、ごめんね、ごめん~」
遅れてくる理由を、長々と説明し始める四人目。三人は三人三様に、四人目の到着を嬉しく思いつつ笑顔で「おそい~~~」「あ~やっと来た」「やっぱり来た」などと言いながら四人目を迎え、その説明に耳を傾ける。

そして、四人になると、楽しさは増大する、たいてい。一緒に過ごす時間が、もっと楽しくなる。
そしてそのひと時は、あっという間に終わる。

あれから四半世紀が過ぎた今、ありありと思い出されるイメージは、意外にも、その「楽しく過ごした一緒の時間」ではなくて、ふたり、三人と仲間が姿をみせるまでの15分間と、四人目がアセアセと姿を見せる、待ち合わせから二時間ほど経過して到来する、安堵の瞬間である。
そして、理由を一生懸命説明していた四人目が、天真爛漫なように見えながら、実は何か、口に出せないほかの悩み事などを抱えて生きていたのかもしれないなあなどと改めて思い至ったりなど、する。

なんて話を、授業中にちょろっと、してみた。学生さんたちは、「ふーん」という顔で、耳を傾けてくれる。

四人は、四人それぞれがどんな生き方をしていたか、どんな人生をこれから歩もうとしているのかなんて、たぶん、大真面目に話し込んだりもしなかったと思うんだけど、でも、四人がその場に現れるタイミングやリズムのようなものは、身体感覚で把握していた。
こういう、信頼を前提とした「待ち合わせ」は、今ではもう、体験することができなくなった。
改めてそれを「体験」しようと努力するところから、始めないといけないのだから、そもそも、そんな努力の手間は、かけている暇なんて、ない。

・・・・・・いや、そうでもないかな。
実は、一ヶ月前に、3年間使ったIPHONE一号機をやめて、ガラケーを使い始めた。また、10日ほど前から、ひとり暮らし史上はじめて、紙の新聞を、とり始めた。
世間や社会が「これが人類の進歩です」とばかりに私に提示し続けてきた、通信機器と情報収集機器。
それの最新のものを手に取る発想から、たぶん意識的なレベルでは始めて、距離を置いてみた。

おお。そしたらなんと、これは、楽である。
ガラケーに変えたら、パケ情報をダラダラと取りに行く習慣が消滅した。
そして、電車のなか、バスのなかで、本が読める。考え事ができる。話ができる。不思議と、眠くならない。
紙の新聞には、せいぜい10分くらいしか目を通さない。つまり、ひとつひとつの記事を丹念に読むなんてことは、あまりしない。。
でも、紙の新聞ゆえの「一覧性」(複数の、まったく異なるトピックスを、複眼的に、一度に捉えることができる)
のおかげで、頭のなかで、複数のことが一度に立ち上がってくる。そしたら、2年来やる気にもならなかった、居住場所界隈の場所のや地域の名称を知ることに、急に興味が湧いてきた・・・という自分を、実は昨日自覚した。私がそれらを知らず、覚えていなくても、それらは私を憎んでなど、いなかった。それどころか、私がそれらを知ろうとしているそのことを、淡々と、シンプルに、喜んでくれる・・・みたいな感慨を持っている。

待ち合わせには遅れてはならないのだなんてことは、子供の頃から教わり続けているから、条件反射で理解している。でも、それはそれだ。

あの信頼に立脚する身体感覚を抱きたかいからって、なにもそんな、「努力」なんてしなくていいのだ。
「これが一番素敵ですよ」「これが一番新しくて、一番能力が高いですよ」と人から説明され意味付けられた価値を、改めて問い直すことなしに飲み込み続けるのをやめて、その「一番」が出てきたがゆえに否定された「二番」を手にとること。コツはたぶん、これだ。
これだけがコツじゃないかもだけど、まずもって私がわかっているのが、コレ。
その「二番」はたいてい、「三番」より「二十番」より「百番」よりも何よりも、一番暗くて一番光の当たらない場所に置かれていたりするのだから、そう知ってさえいれば、けっこう、というか、ものすごく、見つけやすいものだったり、するのだ。

そう知ってさえいれば、だけど・・・。
それを「知っている」状態を維持することが、実は意外にも難しかったりも、するんだけど・・・。
その状態を、私はすぐ、意識の外に放り出して忘れてしまいがちなので、こうして、長々とメモをここに、書き残した次第、です。

推敲もせずに、UP。
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 一昨日、職場のサイトに、自己紹介がてらエッセイを掲載してもらいました。いろいろと虚実ないまぜの文章ですが、職場名は事実ですし、表現したかったことにブレはないつもりです。よろしかったらぜひ。

さて、そのエッセイには書けなかった話をひとつ。
エッセイ冒頭で、ある学生から手紙をもらった、と書いてあるんですがあれは事実です。
小さめの便箋にびっしり3枚。授業の感想が細かに書いてありました。
捨てずに大事にとっておきたい手紙をいただくいただく機会なんて、もうほんとうに少なくなりました。
たかだか30年前までは、ほんとうによく手紙を書いたし、手紙をもらうと嬉しかったし。
メールやLINE、FBなどでのやりとりで、明らかに人とのつながりのあり方は多様になったけれども、
やはり、ほんとうに伝えたい思いを込めた一通の手紙の力は偉大です。
もちろん、メールでも思いを込めることはできるし、手紙のほうが電子媒体よりも格上だとかそんなことが言いたいのではないんだけど。
でも、手紙は読むのに時間がかかります。
メールは、文字が読みにくいということはまずない。
でも、手紙は時間がかかるし、字体が人によってみんな違う。
さらりと読めない。読みにくい字や読めない字もある。
人を理解すること、問いかけることには、時間がかかるのだし、時間をかけてこそ伝わることというのがあるのだと、手紙を読んでいて思い出しました。
このことは、データでやりとりする時代になったからこそ、30年前よりもつよく思います。

あの まるきばし をわたると
だれも いそがない村がある
まめのつるに まめのはな
こうしのつのに とまる雲
そのまんま そのまんまかげぼうしになる 村のはなし
北の大臣(だいじん) 南の酋長(しゅうちょう)
一日(いちにち)おきに けんかするってほんとですか
ほんとですか
ほんとですか


ああ、子供のころ、好きだったな、この歌。
たまに、心のなかで、うたいます。
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あけましておめでとうございます。
2015年が明けました。←あと3時間後ですが
本年もどうぞ、よろしくお願いします。

私の2015年のテーマ、「稜線を行く」です。

ここ3日ほど考えて、たった今、ストンと来ました。
稜線とは、山の峰と峰を結んで続く線のこと、だそうです。
頂上を目指すのではない。頂上と頂上とを結ぶ線を、進むということ。頂上にたどり着いても、それはゴールではなくて、あくまでも通過点でしかない。
稜線が隔てる二つの世界を縫い合わせるかのように続く道程。
遠くで眺めれば美しく、けれど実際にそこを歩む者にとってはおそらく全然らくちんじゃない。
でも、心に思い浮かぶ稜線のイメージや、夜の闇に輝く月は、地上にいる時よりもずっとはっきりとした像を結び続けると思う。それが、歩み続けるための心の肥やしになると思う。

なんか、そういうイメージですかね。

しかし、足腰も弱いし老眼も始まっているしで、よく転んだり倒れてノビていることもあると思います。
見逃してくださいね~
あと、私と一緒に稜線づたいに進みたい方、ご遠慮なく~
ふもとから手を振っていただくのもありです♪
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【写真:「クリスマス・マーケットin宮城学院女子大学」プログラム「I pray for me 礼拝堂に巡る」(produced by Kayoko Inoue and Naoko Yoshimura)より】
年内に、クリスマス・マーケット(勤め先で、12月13日に開催して好評をいただいたイベント)の思い出話のブログ記事をアップしようとおもっていたのに、2014年、あと2時間余りだ。
もう長くは書けないうー。

キリスト教主義教育という「核」がイベントを支える思想となってくれたこと、人文系からデザイン系食育系までいろいろな学科が長い歴史とともに並存しているがゆえに「すでにずっとまえからそこに存在していた宝の山」に、ずっとかかっていたふんわりベールを取り去るだけで充分だったこと、偶然と出会いとに恵まれたこと、などなど、いろいろあるけれど、まあ、そのあたりのことは、公式の報告書にたんまり書くとして、である。

でも、年が変わらないうちにどうしてもここに記録しておきたいこと、それは。

これに関わった多くの人々が、イベントを「消費」するのではなく、イベントを「創造する」側にまわった、という、そのことである。

世にイベントと名のつくものは、いろいろ、いろいろ、ある。
私たちはそれを消費したり、傍観者として遠目に眺めたり、無視したり、「いちおう行っておかないと意見もいえないし」と義務で参加したり、する。
でも、イベントというものがそもそもそういうものでしかないのであれば、「第一回クリスマス・マーケットin宮城学院女子大学」は、イベントと名のつくものでは、なかったかもしれない。

「第一回クリスマス・マーケットin宮城学院女子大学」に参加した人、作った人、運営した人。
多くの人々が、あのイベントにとって、一種の当事者であり、広義の運営主体のような、そんな立場でいてくださったのではないかと、思う。そして、そうではない人々を包み込むようにして、守ったのではないかと、思う。

アクシデントがあっても、品物が完売してしまっても、会場案内図が不明瞭でも、ワークショップの待ち時間が長くても、それをもって「この企画ってだめじゃん!」と切り捨てる発想よりは、「ここがもっとこうなったら楽しかったのに。来年は是非改善してください」と建設的なコメントを残すような発想でいてくださったひとが、多かった。切り捨てる発想の人々がいなかったはずはないのに、その人たちは、建設的なコメントを出したかもしれない類の人々に守られ、包み込まれた、いやされた、と。そんな気がしている。

このポジティヴな発想がマジョリティを占めたらしい理由は、たぶんだけど、学生ボランティアのみんながほんとに頑張ってくれたからだと、私はすごく強く思っている。
はじめてのイベントで、誰も正解を持っていない状態のなかで、縮み込んだり不安がったり文句を言ったり愚痴を言ったりするマイナスの発想に取り込まれたり巻き込まれたりするのではなく、「今この瞬間自分の目の前に起こっていること」に対して最大限の努力でこたえ続けようという、そういうスタッフが、おそらく、すごくたくさんいたんだろうと思う。

臨機応変ということばは手垢がついていてそれ自体の価値を実感する機会ってなかなかないかもだけど、今回の12月13日ほど、「臨機応変」ということのプラチナのような不変の価値を実感した経験ってなかった。

今目の前に起こっている出来事や、目の前にいるその人に対して、自分の最大限できることを、一生懸命考えて、まよわず行動に移す。できないことに対して落ち込んだりくよくよするよりも、まず、そういう臨機応変性を手離さずにいる。
そういうことをやったスタッフが、たぶんすごく、多かったのだ。

そして、そのことが、12月13日の宮城学院を、明るく、優しい空間に押し上げてくれたのだ。
と、思う。

そう。もちろん、やまほどある反省点は、準備委員会のものだ。
彼女たちの頑張りが引き継いでくれたバトンがまたこちらに戻ってきている。来年に向けてまた、彼女たちがつくったこのたからものみたいなパワーを、丁寧に包んで、大きく、押し出さないといけない。
そうすることでしか、彼女たちにきちんとお礼が言ったことには、ならないだろう。

東京近郊にお住いの、私の知り合いのみなさん。
宮城学院って、あんまり、名前、聞いたことないでしょう? なんとまあ、もったいない!
知らざ言って、きかせやしょう!2015年12月、バージョン・アップした「第二回クリスマス・マーケットin宮城学院女子大学」に、どうぞお越しくださいませね。

みなさん、かんしゃしています。
ありがとうございました。
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暴風雨のような忙しさの中にあるが、それでも日々のルーティンワークは厳然とそこにあり、時は確実に先に進んでいる。12月13日のイベントが終わったら、きっと、仰天するほどのスピードで、2015年が私の人生に突っ込んでくるに決まっているのだ。

さて、2015年のテーマ。どうするかな・・・。

2014年は「聞くを愛する」
2013年は「ときわ」
2012年は「これを、ひらく」
2011年は「クラシック」
2010年は「やりたい」
2009年は「過去と未来をつなぐ」
2008年は「恩返し」
2007年は「一矢を報いる」
2006年は「実りの年」

はやいもので、これをやり始めてから、今回で10回目というわけか。これもまた、一つの節目だ。

今年のテーマ、「聞くを愛する」か・・・。
そのアクションを、自分が取ることができたわけではまったくなく。
ひたすらしゃべりまくってしまった。
ただ、自分がいかに優れた聞き役たちに、囲まれて暮らしているか、実感し続けた1年では、あった。

2015年。どうするかなあ・・・。
めずらしく、12月の頭に、まだ、テーマが影も形も見えない。
こんなこと、これまでにたしか、一度もなかったのだけど。
12月中にはすでに何かおもいついていて、それを12月のどんづまりになって変更する、ということはあったけど・・・。
今となっては、「それ」が、言葉ではもはや言い表せないこと、だからなのだろうか?

わからない。
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