フランス語教授法の大会に参加
今日は、横浜では大野一雄トリビュートのダンスイベントがあった。これまでに私がほとんど欠かさず見てきたおやつテーブルもここに参戦した。そして、美学校では、「わたしのすがた」について語り合う会というのが(終わったのか?まだやってるのか・・・?)があったりと、私としては逃したくないイベントが2つ重なった。
でも、残念ながら、今日はどっちにも、参加できなかった。
独協大学で開催された、Journee Pedagogiqueに参加したからだ。
Journee Pedagogiqueとは?
日本各地で努力を続けているフランス語教師の皆さんが、よりよい授業をつくるためにどんなことをしているのか、その実例を発表していただく、というもの。
私の中では極めて優先順位の高かったはずの二つのイベントには、涙をのんであえて参加せず、朝から松原団地へ向かい、3つのアトリエに参加、講演会をひとつ、そして、最後の立食パーティーまでたっぷりまる一日。
そして、今、いつもの通り、月曜日の会話の授業の仕込みを初めているのだが…。
うん。やっぱり、違う。いつもより、アイディアの出方が早いし、出てくるアイディアがそれなりに面白いと思える。
(もちろん、これが実際にOKかどうかは、明日教室で実際にやってみないと分からないのだが)
「教え方」なんて、人がどうやってるかをいちいち気にすることなんかない、大事なのは何を教えるかなのだから、「教え方」にこだわるのは、まやかしだ。という意見を持っている人も、世の中には、たぶん、たくさんいる。
でもわたしは、「教え方」にこだわろうとしないのは、教える側の奢りだというふうに感じる。
教える側の人間に、伝えたいことがある以上は、伝わるように努力しなくちゃいけないと思うからだ。
それに、「教え方」にこだわると、どうしても時間と手間がかかるのだ。正直、わたしも、忙殺されているときには「教え方」なんて所詮装飾なんだから、というなかばやけっぱちな気持ちになることもある。「教え方」なんて気にしない!とばかりに腹をくくってしまうほうが、負荷が少ないし楽なのだ。
ずっと一人で(そもそも教室では原則として教師はひとりだから、誰かに相談もできず、その場その場の判断で、自分でどうにかするしかないわけで)教えていると、だんだんと心がくたびれてきて、そういうふうに「やすきに流れて」しまいたくなるのだ。
だけど、こうして、いろいろな人が一生懸命、「教え方」のより良いあり方を工夫しているということを、たまに、でもしっかりと、知らされるたびに、軽く横っ面をはられたような気持ちになって、背筋がしゃんとするのだ。
せめて半年に一度くらいは、すごくうまい教え方をしている、たくさんの工夫がある、そんな授業を参観させてもらえたらな。そしたら、すごく、いいだろうなあ。
というわけで、明日の仕込みを続けます。
しかし・・・。
「ところで、アルトーさん」「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」「シンベリン」「ゾンビ」の感想を書きたいと思っているのに・・・時間がなあい!
もう書かないかもしれない・・・? ううう。
でも、残念ながら、今日はどっちにも、参加できなかった。
独協大学で開催された、Journee Pedagogiqueに参加したからだ。
Journee Pedagogiqueとは?
日本各地で努力を続けているフランス語教師の皆さんが、よりよい授業をつくるためにどんなことをしているのか、その実例を発表していただく、というもの。
私の中では極めて優先順位の高かったはずの二つのイベントには、涙をのんであえて参加せず、朝から松原団地へ向かい、3つのアトリエに参加、講演会をひとつ、そして、最後の立食パーティーまでたっぷりまる一日。
そして、今、いつもの通り、月曜日の会話の授業の仕込みを初めているのだが…。
うん。やっぱり、違う。いつもより、アイディアの出方が早いし、出てくるアイディアがそれなりに面白いと思える。
(もちろん、これが実際にOKかどうかは、明日教室で実際にやってみないと分からないのだが)
「教え方」なんて、人がどうやってるかをいちいち気にすることなんかない、大事なのは何を教えるかなのだから、「教え方」にこだわるのは、まやかしだ。という意見を持っている人も、世の中には、たぶん、たくさんいる。
でもわたしは、「教え方」にこだわろうとしないのは、教える側の奢りだというふうに感じる。
教える側の人間に、伝えたいことがある以上は、伝わるように努力しなくちゃいけないと思うからだ。
それに、「教え方」にこだわると、どうしても時間と手間がかかるのだ。正直、わたしも、忙殺されているときには「教え方」なんて所詮装飾なんだから、というなかばやけっぱちな気持ちになることもある。「教え方」なんて気にしない!とばかりに腹をくくってしまうほうが、負荷が少ないし楽なのだ。
ずっと一人で(そもそも教室では原則として教師はひとりだから、誰かに相談もできず、その場その場の判断で、自分でどうにかするしかないわけで)教えていると、だんだんと心がくたびれてきて、そういうふうに「やすきに流れて」しまいたくなるのだ。
だけど、こうして、いろいろな人が一生懸命、「教え方」のより良いあり方を工夫しているということを、たまに、でもしっかりと、知らされるたびに、軽く横っ面をはられたような気持ちになって、背筋がしゃんとするのだ。
せめて半年に一度くらいは、すごくうまい教え方をしている、たくさんの工夫がある、そんな授業を参観させてもらえたらな。そしたら、すごく、いいだろうなあ。
というわけで、明日の仕込みを続けます。
しかし・・・。
「ところで、アルトーさん」「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」「シンベリン」「ゾンビ」の感想を書きたいと思っているのに・・・時間がなあい!
もう書かないかもしれない・・・? ううう。
by apresthese40
| 2010-12-05 22:23
| 仕事がらみ

