2011年4月から更新をストップしていましたが、2012年7月終りから、再開してみます。2013年4月から、本拠地は仙台。ときどき東京、上落合。


by apresthese40

もういちど

よろしく

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# by apresthese40 | 2018-08-27 18:03 | よしなしごと | Comments(0)

ためしに

かいてみています。
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# by apresthese40 | 2018-08-27 18:02 | よしなしごと | Comments(0)

ためしに

かいてみています。
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# by apresthese40 | 2018-08-27 18:02 | よしなしごと | Comments(0)

試験記事

お試しUP
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# by apresthese40 | 2018-08-27 18:01 | よしなしごと | Comments(0)

おためしのきじ

いーちゃんとしゃべった。
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# by apresthese40 | 2018-08-27 17:59 | よしなしごと | Comments(0)

いびきの効用?

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3週間ほど前から、体調管理のために、いびきを直そうとまずは「いびきラボ」なるアプリを取ってきて使っている。
自分の眠っている間の寝息=いびきを継続して録音し、その音量をイメージグラフで示してくれるアプリだ。
『静か」「軽め」「喧噪」「激しい」の四色で色分けされたグラフは、縦軸が音量、横軸が時間で、何時ごろどのくらいの音量で眠っていたかを一目瞭然で理解でき、グラフの一部をクリックすると、その時の音声を再生できるというしろものである。

はじめてこれを使った翌朝は本当に衝撃を受けた。
家族から、私のいびきのすさまじさは聞いていたが、これを自分で聞く衝撃たるや。
ほとんどライオンである。これが本当に人間のたてる音なのだろうか???
これを毎晩夫に聞かせていたのかと大変申し訳ない思いにもなったし、1年ほど前に耳鼻咽喉科の診察で無呼吸症候群の傾向があると言われたことも、こりゃあもっともだと思った。
どうやら、太りすぎの傾向が問題のひとつであるらしいのだが、ダイエットは天使が下りてこないとスタートできないので(ダイエットのやる気と継続性は、自覚的な意志などでは到底もたらされ得ぬのだ)、さしあたっての解決策の一つと言われる抱き枕購入に踏み切った。

抱き枕の効果は・・・まあ、結論から言うと、ない。
まあ、抱き枕を導入してから、いびぎのイメージグラフの波形が変わったのは、確かではある。
最初は静かで、2時間ほどすると二次関数的に跳ね上がり「喧噪」を軽々と通り越して「激しい」の域に達するのだ。
抱き枕導入前は、眠りにはいるとすぐに音量があがっていた。ただし、その音量は、「激しい」の前の「喧噪」の域での推移が多かった。
どうやら、抱き枕を抱えた状態での体勢に飽きて大きく寝返りを打つや否や、まるでずっと泣くのをこらえていた子供のように、堰を切ったように、大音量になってしまうらしい。

こまった・・・やはり天使が下りてくるその日がやってくると信じて、大音量の人生を送るよりほかなさそうである。

しかしだ。
実は、この大音量の効用を、私は今日、一つ見つけた。
録音されたわがいびきを、スマホでかけっぱなしにすると、すごく集中力が増すのである。
このことは、ほんのさっき、気づいた。
今読んでいる論文集、昨日までは確かに「読みにくいなあ」と思っていたのに、先ほど我知らず音をかけっぱなしにして読んでいたところ、気づいたら没頭していたのである。
? これは単に、たまたま面白い論文を読んでいたからに過ぎないのかとも思ったのだが、そうもそうでもないらしい。

言ってみれば、私は、私の寝息を聴きながら研究をしているというわけである。
いわば、私は、眠っている私の横で、仕事をしているわけだ。
そういえば、家族が眠っている横で仕事や勉強をしていると、やたらとはかどる、どんなことでも。
さてこれは本物の効能なのだろうか。これにもまた、1,2週間のモニタリングの時間を必要としそうだ。
そうこうしているうちに、2018年度があけるだろう。

昨日、天命を知る年齢を、迎えました。半世紀生きたことになります。

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# by apresthese40 | 2018-03-25 20:58 | Comments(0)
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私はあの日、早稲田大学戸山キャンパスのプレハブ教室で、次年度に2年生に上がる学生さんたちを迎える準備をあれこれ、当時の上司にあたる先生と一緒に、していました。
一度目の揺れで、ぎょっとなりました。
二度目の揺れで、私はその先生を屋外に連れ出しました。
1時間くらいして、持ち場にもどってみると、書棚の上から、結束してあった紀要の包みが落ちていました。
テレビも落下していました。
その後私は、歩いて自宅にもどりました。徒歩50分の場所に住んでいた偶然に感謝しました。
揺れとは90度の方向に置いてあった自宅の書棚からは、本は一冊も落ちておらず、驚きました。
津波の映像が流れていることに気づいたのが何時だったかは、なぜか覚えていません。
当日だったはずなのですが、思い出せない。

昨日のNHKの朝のニュースでも言っていましたが、みんなあの日のことは覚えている。
たしかに私も、鮮明に覚えているディテールがいくつもあります。

そのあと7年間、本当にいろいろとあって、今に至りますが、不思議と、今年は、震災のあとの1クール目が終了したという実感を持っています。
これは、2クール目に入るという意味でもあります。
きっと、3クール目もあるかもしれません、何年先になるかわかりませんが。

この7年間、一生懸命生きてきたおかげで、理解できたことがひとつ、あります。

「一人で生きない」というのは、戦いだ、ということです。
人は生まれた時は一人で生まれ、一人で死にます。どんな大家族に囲まれてしあわせに生きていても、晩年にどうしようもない孤独感と戦うことになったりします。
事故や天変地異、あるいは戦争等で、家族や友達をみんな失って、一人になってしまうこともあります。
他方、人と一緒に仕事をしたり勉強をしたりするのは、時としてとても難しいです(私はこれがすごく苦手です)。
誰かと協力するよりも自分ひとりで片付けてしまう方が、いろいろな意味で楽だなあと思うこともあります。

私たちは、望まず一人になってしまうことも、一人になりたいと望むことも、両方、あります。

けど。

「一人で生きない」ということのための戦いを、私はしたいんだなあということを、震災のあとのさまざまなことを経て、いま確信的に、理解しています。
「一人で生きる」ということを、自分から進んで選び取らないために、毎日を、戦ってみようと。
ここでいう「一人」とは、いま言ったような、「望まずに一人になってしまうこと」とも、「一人になりたいと望むこと」ともちがう、別のことです。
そこには、自分と自分以外の生き物やものに対する、信頼の問題が横たわっているように、思います。

このことに関連して思うのが、わたしが5年前から東京の某所で仲間たちとともに持っている小さな図書室のことです。
その図書室は、築50年ほどの2階建てアパートの2階にあり、間取りはひと世帯27平米で、おそらく半世紀前の新婚夫婦がここでハイカラな暮らしを始めたことだろうなあと思っているんですけれども、そこの入居者のほとんどが、一人暮らしで、しかもご高齢です。
でも、そのアパートには大家さんがいて、店子さんたちの暮らしを気にしながら暮らしている。
その大家さんも、ご高齢だったりとか、する。
皆さん、お一人で暮らしている事情はそれぞれなのでしょうけれども、彼ら、彼女は、「一人で生きる」ということを自ら進んで選び取っているのだろうか。
それとも、一人でいるからこそ、誰かとともに生きている実感の中で暮らしているのか。
それぞれの店子さんがそれぞれの人生を抱えておられるでしょうけれども、そんなアパートが、わたしの関わる図書室のありかであることは、私にとって大切です。
「一人で生きない」という戦いがどういうことなのかを、改めてリアルに考え続けるための問いを、発し続けてくれる場だからです。
そしてそういう問いを私につきつけてくれるのは、その場そのものだけでなく、そこに直接的、間接的に関わっている仲間たちとのあれこれでも、あります。

わたしは、「一人で生きない」をめぐる戦いを、次の7年間、続けていくことにします。

写真は、今年卒業するゼミ生のお母様からいただいたチューリップ。写真の赤い花が咲く前、この株は別の見事な花をつけていました。
その花が寿命を終えたので茎から切り取ると、翌日にはもう、写真のこの花のつぼみがぐいと姿を現していました。
一人ぼっちにみえた最初の花はまるで、下の方にある次の花と、バトンリレーをしていたみたい。

そうそう、「一人で生きない」をめぐる戦いのキーワードの一つがきっとこの、「バトン」かもしれません。
「バトンリレー」は、手渡されなければならない。博物館や図書館に保管しておいて、解凍して受け取るものは「バトン」とは言わない。
いや、古文書を紐解いて、その時代の人々が残したメッセージをけ取る感慨を知らないわけではありませんし、それはそれで、素敵なことです。
けど、それはやっぱり、「バトンリレー」とは別物。

私は、「バトン」をもって走るランナーでいたいです。たとえ走り方がおかしくても、途中で転んでも。

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# by apresthese40 | 2018-03-11 12:36 | よしなしごと | Comments(0)
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仙台に来て5年めにして、引越しをしました。
転職や身分の変更などによらない、自分だけの選択による転居は、人生初です。
「転居しました」のメール連絡をbcc.で一斉に送信したところ(これを読んだ方で、「え、私届いてない!」と憤っている方、個人メールあてお知らせください、ごめんなさい。。。ミスです。。。)、お返事くださった在仙の方々の中の数人から「メールのタイトルを見て、東京に戻ってしまうのかしらとぎょっとしました」と。いえいえ、そんなそんな。引越しは、仙台市の中でのことです! おりますおります。おりますとも。

昨日、鍵を管理会社にお返しするため、住み慣れた旧居へもう一度だけ行ってきました。待ち合わせ時刻の17時の1時間くらい前に到着、がらんとした家のなかに入り、寒い寒いベランダから、大好きな眺望を臨みつつ、近くのスーパーで買ってきたたこ焼きを食べました。
思えば5年前の今頃、震災から2年と経っていない仙台は、住宅難でした。飛び込んだ先の駅前の不動産屋で「ここはいまリノベの工事をしているので内見できません。築40年ですが、リフォームするので綺麗にはなります」と言われた物件を、無理を言って外から見せてもらいました。リフォームの職人さんたちがたまたまお昼休みで出てきた隙を狙って玄関口から覗いた部屋のなかは、大工事中でした。シンクも床も取り外されていました。でも、だからこそ、ピカピカになるのだと確信し、リフォーム工事が始まったばかりのこの物件を押さえたのでした。
こうした幸運で決まった住居はその後、私の仙台での暮らしのパートナーになりました。来仙した2013年4月以来数ヶ月の間、ろくに室内のことがやれていなかったのですが、母が見かねてやってきてレイアウトしてくれ(家政学部出身者強すぎ)、その後は友達を呼んだり、同僚や学生たちを呼んだりする、わたしの自慢の城でした。おかげで、自分が、ホームパーティを主催するのが好きな人間だったと気づきました笑
いつからだったか、出張や東京行きなどで部屋を一定期間離れたあとの帰宅では必ず「ただいま」を言うようになりました。大学内での学事業務が増え、さらに職場での12月の大催事の着想を得た2014年2月からは、21時台の終バス(東京にいたときは深夜まで研究室にいた人間としては、21時なんて早すぎでしょと思いながら)で帰宅するようになり、毎年10月から12月は、バスに間に合わずタクシーで帰ったり、体調を崩して急患にかかった病院から身体を引きずるようにして帰宅することもありました。そんなときでも、あの部屋は私のコクーンであり続けました。

そして2016年の暮れ、必死になって身体を壊すまで働いたり考え事をしたりするのは「まちがいなのだ」という、人生最大といっていい発見をしたのもこの部屋での暮らしの中での出来事でした。「人の役にたつことこそ生きる価値である」という、いったい誰によってか、何によってか、私がずっと無自覚に信じ続けてきたこのことの大嘘に気づき、その大嘘という赤い靴に踊らされて生きてきた自分の身体と身体感覚について、半年と少しの間、考えを巡らせました。その赤い靴を欲しいと願いながら手を伸ばせない自分、どうにか手に入っても履き方が分からなかった自分、どうにか履いても上手に踊れない自分、ようやく踊れるようになった以上はその靴にふさわしく生きねばと念じる自分。お前はその靴にふさわしくないといつ誰に断じられるかと不安に慄く自分・・・そんな自分を省みるなか、思索の過程で起こったいくつかの出来事と、見えてきたいくつかの気づきを経て、新しい家を探そうと思い至りました。コクーンでありパートナーである(つまりまるで自分自身みたいなものである)この部屋を離れても構わないと思える転居先に出会うまでには、半年以上かかりました。

新居は、仙台において、今の職場とこれまでの住居周辺で友人知己ができるのと同時進行で、しかし別の場所に、別の文脈で出来上がっていた、ゆるやかな「家族」のようなコミュニティの近くに構えることになりました。職場は少々遠くなりますが、5年間の試行錯誤のなかでようやく、自ら車を買って運転する暮らしへとジャンプアップする自分になったので、おっかなびっくりですが、通勤のため乗ってます、毎日笑 車も家族なのだというこの感覚も、初めて知りました。車に積もった雪を下ろすこと、霜取りをすること、駐車場を見つけること・・・。怖がりで運転恐怖症の私が、おっかなびっくり、そういうことをひとつひとつ、やっています。(事故しませんように 祈)

そんなわけで、5年間の「さなぎ」の時代を、昨日、終えました。
仙台生活6年目が、そろそろ始まりそうな、2月半ばを、迎えています。


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# by apresthese40 | 2018-02-14 09:22 | よしなしごと | Comments(0)
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2018年のテーマは、「この山を下りる」です。
さきほど、ぴたりと来ました。

2017年は「素直にひとり」
2016年は「斥力を使え」
2015年は「稜線を行く」
2014年は「聞くを愛する」
2013年は「ときわ」
2012年は「これを、ひらく」
2011年は「クラシック」
2010年は「やりたい」
2009年は「過去と未来をつなぐ」
2008年は「恩返し」
2007年は「一矢を報いる」
2006年は「実りの年」

下りるべき山は、いくつかあります。
物心ついてから、修行するために篭り続けた寺山
2011年から我知らず稜線を上り続けた小山
仙台に来てから急こう配をのぼり、1年前にたどり着いたそそり立つような岩山
20代半ばから仰ぎ見て、30代前半でふもとにたどり着き、30代後半で頂上に上り、そのまま下山する方法も分からずにいたカルデラ・・・。

また、象徴的な意味では、下山とは、修行僧が修行を終えて俗世に出ることも意味します。
そして、第一義的な意味での下山は、山登りの過程の中でもとりわけ危険で怪我や遭難に会いやすい段階とも言われます。

さらには、下山とは、がんばって上って来た山、一生懸命篭り続けてきた山を、視覚ではなく身体感覚で知ることのできる機会でもあります。だからこそ、じっくりと踏みしめながら、味わいながら、下りていく。
しかも、下山をすることで、今までいたこの山の向こうにある、さらに大きく雄大な山へのアタックの可能性が、拓かれます。もしかすると、あの山は、下山ルートのこの山と、きっと地質が似てさえいるかもしれない。

2017年は、大変お世話になりました。
2018年、改めてどうぞ、よろしくお願いいたします。

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# by apresthese40 | 2018-01-01 00:00 | よしなしごと | Comments(0)

奇妙で素敵な夢を見た

奇妙で素敵な夢を見た。久しぶりできれいで大きな夢だった。書き残しておく。
どこかの見知った道を進んでいたら、大きくて白い2,3段の階段が、道をふさいでいた。階段の手前にはおばあさんというかおばさんがいて、私に何か話しかけた。私はその階段を上った。降りようとしたら突然、その白い階段は動き出した。白い階段は実はトラックだった。おばあさんはその運転手だった。私は階段にくっついていた取っ手を握り、宙ぶらりんになった。トラックはまるで飛ぶように走っていく。空を進んでいるようである。宙ぶらりんになりながら、「ああ、約束に遅れちゃう、今日は2時にサル―と会う予定だったのに。彼女と会うにも6時までしか時間がないから、それまでに会いに行かないといけないのに」と思っていた。見知らぬ街で不安の中で乗り過ごし続けるバスのように、白いトラックはまるで羽が生えたかのようにぐんぐん進んだ。トラックから手が離れそうな瞬間もありひやりとしたがあまり不安も感じない。そして、見知らぬおおきな繁華街を通り抜け、ふと気づくと、トラックは泊まった
彼女はたしか、フランス語で言った。「ほら、これが倉庫の鍵。これが、家の鍵。先に行って、開けておいて」。私は答えた。「見知らぬ場所の鍵を開けるのは怖いです」。すると彼女は言った。「ああ、そういえばそうだよね。ちょっと待っていなさい」。彼女はほどなくしてトラックから出てきて、家なのか倉庫なのか、その先にある黒ずんだ小さな建物の扉を開けた。中は、なだらかな階段状の小道が奥へと少し続き、行き止まりになっていた。その左手には長屋が並んでいた。長屋を進むと行き止まりで、その先には、不思議な人々が住んでいた。どうやら、みな、大道芸の芸人らしい。彼女が何か言うと、彼らはあっという間に、大道芸のピエロの扮装に変わった。私はうれしくなった。
おばあさんは、私に、一冊の本をくれた。それは、夢の中の私の記憶では、トモコがかつて私に見せてくれたことのある、とても素敵な本だった。ああ、サル―に連絡しなくちゃ。それと、トモコにも連絡しなくちゃ。ここでも結局私は、この二人にいきつくのだな。
白いトラックと、大道芸人たちのふわりと白い扮装と、本の表紙の白さ。長屋の苔むした黒ずみと、大きな繁華街の建物の黒さ(まだ夕刻になっていないはずなのに)と、本の表紙に掲載された一枚の写真の黒さ(確か何か写っていたけど覚えていない)。
あのおばあさんは、誰だったんだろう。あのおばあさんはきっと、もうひとりの私だ。私を迷うことなくどんどん先へと導いている。私が慌てても、不安になっても、へいちゃらで、私を次の扉、次の扉へと導いている。


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# by apresthese40 | 2017-11-16 07:44 | よしなしごと | Comments(0)