4日から7日まで、都内某所に滞在。会いたかった人たちや、思いがけず出会えた人たちのにこやかな表情と、予定していた会合の充実、そして、とても大切な相談事など、当初予定していたことすべて、詰め込めるだけ詰め込んだ。

明日はパスポートのいる旅行に出るのだが、一泊だけでも家の布団で眠ろうと、今晩は弾丸帰宅中。

明日の旅の準備やら、絶対に仕上げなきゃならない書類や資料などなど、明日朝までのタスクは山積みだけど、さっきいろいろと作業をしていたとき、ふっと思い出したことがあって、忘れたくないので、それを、大急ぎで書き付けておく。

家族の声を記憶するのは、とりわけそれが同性の家族である場合、とても難しい、というか、不可能であることが多い気がする。とりわけ私は、母の声を記憶できない。それはたぶん、彼女の声と私の声が、ほぼ同じ声だからなんだろうなと思う。
妹の声も、けっこう難しい。でも、断片的に、蘇ることも、ある。
彼女の声は、私に似てることもあれば、似てないこともあるってことなんだろう。

でも、彼女の声で、鮮明に記憶にとどめられているのが、たぶんひとつある。
それは、子供を産んですぐ私に誕生祝いの電話をしてくれた時の、彼女の、声だ。

私はおりも折、前の前の前の職場をあと数日で退職することにしていて、引越しと引き継ぎと業務のまとめとで、涙もでないほどに疲弊していた。
彼女のその電話は、病院からだった。
病院からだから、日中しか電話ができない。携帯電話なんてまだなかった。だから、私はその彼女の声を、留守番電話で聞いた。
「おねえちゃん、げんきですか。わたしは、うんじゃい、ましたよ~ おねえちゃん、おたんじょうび、おめでとうぅ」
最後のほうは、産後で声に力が出ず、かすれて消え入りそうな声だった。
予定より2週間もはやくに産まれたその子と、私は、その後数ヶ月間、一緒に暮らすことになる。

あの電話を、妹がどんな思いでかけてきたのか、きっと今訊ねても、「覚えていない」と言うだろう。
でも、あのか細い声は、たまに、脳裏にありありと蘇ってきて、私をハッとさせるのだ。

将来設計もできていないままに、人も羨むような職場を退職することに決め、引き継ぎと並行しておびただしい量の仕事に追い立てられ、心がかさかさに乾いていたその時、産後の疲弊のさなかで、私に一本の電話をくれたときの彼女のあの声は、私には、宝物のような、ものだ。

もう10余年たってなお、あの声の記憶は色あせない。さっき久しぶりで脳裏に響いたその声は、かつて記憶したとおり、しゃがれていて、弱々しかった。
きっと、私はこの記憶を、死ぬまで忘れないのだろうなと思った。
たったそれだけのことが、私の力になるなんて、あの時妹は考えなどしなかったろう。

人を幸せにしたい、人にいい気持ちになってもらいたいという思いが、直截的に実現するのは、いいものだ。
でも、そんな思いを意識的に載せてなどいない言葉にもまた、人の心を打つ力がある。
ただ、自意識と切り離されて記憶された声が、コンテクストや文化を飛び越えて、人の心を打つのに、おそらくどうしてもこれだけは外せない重要な条件がある気がする。
それは、その声が、「その人の本当の声」であること。

あのときの妹は、「おねえちゃん」に電話をして、「おめでとう」「産んだよ」とよほど言いたかったのだろうな。
その「そうしたかった」という思いだけが、常に常に現在形のまま、予想もしない瞬間に、私の現実に割り込んで、私を驚かせ、ニコリとさせるんだ。
たぶん、そうだ。

明日、あの日産まれたその子と一緒に旅に出るよ。
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すみません、ツイッターを雲隠れさせました。
1週間くらいで復活させようと思っていますが今のところ。
突然すみません。
ちょっと集中したいことがありまして♪
好い夏を。


8月1日付記。 復活しました。お騒がせしました。
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ちょっと、のそっとした話です。

自分の知らない人を多数含む集団に入りっぱなしになるっていうのが、実は得意じゃないんです。

今でこそ、何人かの奇特な学生さんに、「先生のおかげで教室の雰囲気が明るくて嬉しい」などとこそばゆい感想を頂戴するのだが、子供のころは教室というのは私には牢獄か地獄みたいなものでしかなかった。
いや実を言うと、今でも、習得する側として教室にいるのは本当に苦手だ。
だから、自動車学校通いも、フランス語教授法ディプロム取得のための学校通いも、しんどくてつらくてしかたがなかった。
そんな私が教師になったのは、自分が一番苦手で逃げ出したいような場を、一番エラソーに掌握できるのが気持ちがいいから? そう意識していたわけではないけど、まあ、結果としてはそうかもしれないなと思う。
これ、発想として、ディクテーター的かもしれない。
だからたぶん、私の分身が、私の授業に学生として参加していたら、学生の私はきっと言う。
「この授業はいやだな」

まあ、しんどいはしんどいが、それでも知識を習得できてしまえば、その知識を持って生きることで、毎日がより充実したものになる・・・というのはどうやら確からしい・・・んだが・・・

いずれにせよ。
かねてより、不特定多数の中にいるのが怖いし苦手だったのだ・・・
その不特定多数が、何かに熱狂していたり、一つの方向性を見ていると感じられるときは、もう本当にダメだ。
高校の学園祭、体育祭。
ああ~~~~嫌いだったなあ、あれ・・・。
体育祭は、もう、思い出すだに虫唾が走る。
ラストのリレーが終わると、なんか知らんが生徒がみんなして感動して、トラックの内側に駆け込んでいくのだ。で、そのまま閉会式になだれ込むんだが・・・。
私の横を、クラスメートが、わさーっと走り抜けてトラック内側に向かう。
あれ、なんで走ってたのかな?

今でも、たくさんの人が好き好きと言うものがとたんに色あせて見えるのは同じ。
「あまちゃん」ももう、だいぶ、しんどいです。
この夏はほとんど日本にいられないので、たぶんこのまま見ずに終えるだろうなあ・・・。

私がすぐに熱狂的になるたちだと、周囲の人は思っているだろうし、自分でもそうなることが多いのは自覚している。でも、熱狂する理由にくらいは自覚的でありたい。
わけもわからず熱狂に放り込まれるのは、怖いし嫌だしどうにか避けたい。

避けられないなら、熱狂とは違う温度の場所を、自分で自覚的に作ることしかなかろうなあと、思う。
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e0129547_12431791.jpg昨日の午後、嵐になるかもしれないと思いつつ、行ってきました。あんざい果樹園でのライブ。

テニスコーツはこれまでに2度ほど見たことがあるけれど(一度は大阪だったかのダブルオーケストラで、一度は飴屋×大友×テニスコーツで)、今回ので、はじめて、サヤさんの声にKOを食らった。

いつも思うんだけど、母音と子音、どっちが「エロ」かと言ったら絶対後者だ。
それは、子音が、身体の中を空気が通ることの証拠だからだ。
子音が強く聞こえると、その人の身体を感じる。だから、場合によっては「エロく」聞こえる。

サヤさんの声が不思議でとってもオリジナルなのは、丁寧に聞くと明らかに子音がとても強いのに、それが単純に、短絡的に、狭義の「エロ」に直結されないからなのかもなあと、昨日ライブを聞いていて、思った。
むしろ、身体というよりも、楽器を感じさせるのかも。彼女の声は。
爪弾けば音の出るギターの弦みたいな。叩けば音のするピアノみたいな。空気を通すと音の出る、一つの楽器としての、サヤさん。
ギターっていう楽器を私が好きなのは、弦がむきだしなせいで、そこに何かが触れない限り音がでない、何かが触れたから音が出るんだ、というシンプルな原理の実践を、目の当たりにできるから。
何かと何かが触れるためには、そこには何かが「あって」、その何かが「動いて」いなければならないから。
というかつまり、そこになんらかの「エネルギー」がある証拠が、音が出るということだから。
なんか、それに相通じるシンプルさが、あるんだな、彼女の声には。
そのシンプルさを充分に味わって耳が慣れてきた頃に聞こえてくる、西洋音階どおりのメロディーラインの、強いこと、強いこと。耳の感度がものすごく上がっているところだから、本当に、酔いそうなほどすてき。

e0129547_12433877.jpg昨日の彼女の衣裳も、とっても自然でよかった。
物販があったので、↓これを買って帰宅。今、聴きながらこれを書いている。
りんごを入れるプラスチックのケースを積み上げた舞台の上の、大友さんとサヤさん。小さめに、いれときます。

あ、そうそう。天気予報では落雷や嵐かも、ってい言われてたけど、ライブが始まる17時頃には、雨は上がって、日差しが。虹もでてた。
風は、強かったけれども。

ちょっとナイショで・・・
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e0129547_11465294.jpg今日、腕時計を新調した。
いや、新調といっても、購入ではない。3月の引っ越し見積りにあたり、業者に是非にと頼まれて購読をはじめたとある新聞の、購読特典、オマケである。
 3年と3か月にわたり、シンガポールで購入した時計がずっと、わが伴侶だった。その前の10年間使い続けた時計を間違って洗濯しちゃって、ダメにしてしまい、少し悲しい気持ちになりつつあのスォッチ買ったんだった。
 
 前の職場での3年間の任期中まるまるずっと、あの青いスオッチに伴走いただいていたことになる。
 最初の1年間のことは、記憶が少々断片的だ。線ではなく大きな点いくつかに、記憶が分かれている感じだ。
 戯曲を読む会「読み会」がはじまった。フジタとジロドゥのかかわりをはじめて発表したのも、寺山修司の『大礼服』とジロドゥの『間奏曲』の関係に気付いたのもこの年だった。
 震災からこっちへの2年間は線で記憶されている。もちろん抜け落ちたさまざまな細部はあるけれど、記憶に途切れを感じない。
 ということは、過去2年間にわたり私は、現在を過去に追いやることなしに、現在形のまま、次から次へと積み重なるたくさんのものをとりこぼさずに抱えたまま、進み続けていたということだ。
 
 新聞購読のオマケにしてはしっかりとした面構え。一日に何回も見る長針と短針と文字盤とが、こうして新しいものに変わったことで、節目ということを、今日はしみじみ感じる。まだ、バンドの皮が固くて、腕になじむにはだいぶ時間がかかりそうだが。、この時計のデビューに合わせて、遅ればせながら、心の時計も、「東京時間」から「仙台時間」に。これからは、この「仙台時間」が、わたしの「エール・ロカル」heure locale(現地時間)だ。

 考えてみれば、海外に出るたびにいつも、時差により時計を現地時間に合わせることで、生活圏の時間をいったんわきにのけて、旅先の時間軸を手に入れている。でも、日本国内の移動、縦の移動だと、時間軸に変化がないような気がしてしまう。新幹線でひとっとび、の便利さは、東京と仙台を隔てる350キロに対して私を簡単にはセンシティヴにさせてはくれない。
 でも、時計が変わることで、その距離、その隔たりが「あるのだ」というそのことに、急に意識的になる。
 なんだか嬉しく、ちょっと、すがすがしいような。

 今日はじめて、職場以外の友人ができた。友人の書いた戯曲に、自分が挿絵をつけて出版する予定なのだそうだ。フランス語話者である。私の家から徒歩数分のところに住んでいる。なんか、ちょっと、面白そうだ。この人に、東京ではなく仙台で出会ったということも、なんだか面白い。
 オッペル君、これからどうぞ、よろしくね。
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明日、5月17日(金)13時30分から2時間、早稲田大学で、わが畏友浜野喬士さんの博士論文公開審査が行われます。
すでに学界でその活躍がつとに知られる浜野さんですが、「そうか、博論まだだったのか!」と改めて驚きます。

リアルで「浜野くん」と呼んでしまうのは、私が10年近く前、かつて大学の博物館で助手をしていたときに、私の担当セクションのお仕事を1年余にわたりお手伝いいただいた縁があるからです。その頃はまだ博士課程に籍を置いておられましたが、とにかく彼がいてくれると仕事がさっくんさっくん進んで、ダメダメ助手だった私は毎日本当に助けていただきました。

この3月までは早稲田で同僚としていろいろとお世話になりました。
研究室がとなりだったので、茶話会をしたことも一度や二度ならず。
雑談をしていていつも心動かされたのは、「学問のための学問」に縁がないところ。
自分の研究が、人類のためになるということを、これ以上ないほどにシンプルな覚悟でもって自覚しているところでした。

彼はよく「爆読」という言葉を使います。lまったく、読みの密度とスピードと、それを脳内ハードディスクに落とし込むスピードの速さと確実さたるや・・・。彼の脳は、起きている時は常にフル稼働なのに違いありません。
集中力を維持できず、したがって読むスピードも研究の密度も・・・な私は、どうにもうまく言葉にできないような考え事にからめとられるたびに、浜野さんに相談したものです。
自分のきわめて個人的な考え事が、浜野データベース&浜野OSによって、たくさんの碩学の言葉を経由した表現へと「翻訳」されるたびに、堂々巡りの考え事が、ふと「止揚」されるのを感じ、つくづく有難かった。

自分が今でも東京にいたなら、そして授業がなかったなら、万難を排して駆けつけるつもりでしたが、残念ながらそれがかないません。
明日のご武運と、多数のギャラリーのサポートがありますよう、杜の都からお祈りしております!

かちっ、かちっ (火打石の音)

ちょっと気が早いが、「乾杯のワイン、ささやかですが、用意しといたよ」の体で、写真を一枚贐に。

【浜野喬士氏 博論公開審査会のお誘い】
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先日、街なかで、15歳で知り合った友に遭遇。声をかけられて仰天。
最後に会ったのはたしか10年くらい前だった。
前の前の職場で展示を開催したら、見に来てくれたのだ。
その前ももうかれこれ10年近く会っていなかったのだけど、どこでどう情報を得たのか、展示室で佇んでいる彼女を見つけたのだった。
でもその時は、忙しくて、あわただしくて、せっかく来てくれたのに全然話ができなかった。

彼女は全然、変わっていなかった。
私は、変わったかな? いや、変わっていないから、彼女はすぐ、わかってくれたんだな。
ちょっと、考え事をしながら歩いていたせいなのか、私のほうは声をかけられるまで彼女に気付かなかった。

たまたま少し時間があったので、2時間ほど、話した。
知り合ったのは30年前なのだけど、どうしてなのか、15歳の時の感覚そのままに、まるで前日まで毎日会っていた友であるかのように、話が弾んだ。

思えば彼女は、去年の1月に亡くなった恩師が引き合わせてくれたただひとりの友人だった。
恩師が亡くなってからというもの、筆舌に尽くしがたいほどにたくさん大事なことが起こった。
どうやら、恩師が今の私へと彼女を引き合わせてくれたものらしい。
たくさんのことがらの、その次へ行っていいよと、彼女を介して恩師に言われた、ということに、する。

若いころは、こういう「符号」に遭遇することは、それほど多くなかったのだが、年を少しずつとるほどに、「符号」のようなものからの無言のメッセージを受け取っているという感慨をもつ機会が増えてきた。
誰かの意志のようなものが、ふんわりと感じられる、無言のメッセージ。
怖くはない。ただ、背筋が伸びるような気がする。
普段よりももう少しだけ力がでるのだ、そういうメッセージを受け取ると。

少し、力を出して、5月以降、がんばろうっと。

先生、ありがとうございます。私ここにおります。もう少し、頑張りますよ。


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謹賀新年 今年もよろしくお願いいたします。

27日に成田を出てシカゴへ。昨日4日午後帰国しました。
暮れには地元のプロレスAAWと、あと舞台版「戦火の馬」を見てきました。
よい年末でした。
しかし31日から喉の痛みとともに一気に発熱、久々の高熱大会で、結局3日の朝まで寝倒しました。
途中10時間くらい起きて、メール打ちとちょっと仕事、みたいな感じ。

まあ大抵、インドにせよシカゴにせよ、私が行くとオット氏は体調を崩して3日くらい寝込んでは汗だくになって熱冷ましをするのが常なんですが、今回は初めて逆だったなあ。
お雑煮もおせちもつくらない、食べないお正月になってしまいました。
しかし、寝正月ってのはそれはそれで、とても贅沢では、あります。
いろいろありましたが、いいお正月でした。
インスタントぜんざい、卵入りうどん、クレモンティーヌ、お茶どさどさ、もろもろ、いろいろ、ありがとよっ 連れ合いっ

今日の時点でまだ喉は痛いけど、ようやく熱は下がりました。

ことしは「ときわ」に参りますので、どうぞ、よろしくお願い致します。
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いまだ大晦日のシカゴより、年末のご挨拶。
2011年のテーマが、「クラシック」
2012年のテーマが、「これを、ひらく」
でした。
2013年のテーマは、「ときわ」にします。

ときわ。
辞書を引きうつしてみます。
1 常に変わらない岩。
「皆人の命も我もみ吉野の滝の―の常ならぬかも」〈万・九二二〉
2 永久に変わらないこと。また、そのさま。
「大君は―にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして」〈万・四〇六四〉
3 常緑樹の葉がいつもその色を変えないこと。また、そのさま。常緑。
「―なる松の緑も春来れば今ひとしほの色増さりけり」〈古今・春上〉

わたしがこれまでにずっと、自分が捨てたい捨てたいと願いながら、心ならずも「ときわ」に持ち続けてきたもの、つまりは自分が捨てようとしてもそもそも捨てることなんてできっこなかったそのことを、自分の一番まんなかにある大事なものなのだと知ろう、といのが、今年のテーマです。
コペルニクス的転回であって、そんなことを、意識的にできるものなのか、わからないのですが。

それは何かというと・・・無理に言葉にするなら、「劣等感」だと思います。
(いや、こうしてひとつの単語にそれを置き換えてしまうことで、何かがするっと逃げてしまったような感じもまたするんですが・・・だから「  」にくくってみています)
この「劣等感」だけは、大学に受かっても、大学院に受かっても、就職ができても、結婚ができても、博士論文が書けても、授業アンケートで褒められても、振りほどくことができたことが、ただの一度もなかったんです。
ということは、どうもこの「劣等感」というやつは、私は墓場まで持っていかないといけないらしい。
もっと言うと、それは、「自分の一部」であるどころか、もっと自分そのもの、に近いものであるらしい。
ということに、2012年を過ごしてみて、気づきました。
なので、この劣等感を「ときわ」に持っているというそのことを、考え続ける1年にしてみようと思います。

そして「ときわ」は、私がこの1月に生む「子供」の名前でもあるんです笑
これについてはおいおい、お話していきます。

2012年に出会えたさまざまやそれぞれに有難うございました。
2013年に出会うことになるさまざまやそれぞれに、どうぞよろしくお願いします。

私の宝物とともに、Bonne annee a vous tous !
(姪っ子と写ってた写真、ひこめました~)
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こちらからお借りした画像です。
早稲田で、12月7日、フランス人イラストレーターフロラン・シャヴエのトークショーがあります。
通訳します(あーでもちょっと会場到着遅れるんだけどゴメンナサイ)。なんせ私が通訳するとグダグダになってしまうんだけど、なんかそのせいで会場の雰囲気が和むんだそうで、ご指名でございまして…いいんかそんなんで… いやまあ、いいんだろうな…。

日本語を殆ど解さないフランス人の観察眼が、日本の日常を如何に丁寧に紙の上に落とし込んでいるか、本当にこのシャヴエという人の仕事の丁寧さと、視線の先にあるものへの愛情には、吃驚させられます。
ご都合付く方は是非お運びください。
これはたぶん、かなり楽しいと思います。
私がちゃんとしてればですが笑

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絵描きの書く日本:「Tokyo Sanpo」「Manabe Shima」―フロラン・シャヴェを迎えて―
講師講師:フロラン シャヴェ(画家)
通訳:間瀬 幸江(早稲田大学文学学術院助教)
開催日2012/12/07(金)時間17:00 ~ 19:00
会場戸山キャンパス39号館6階第7会議室
対象者学生・大学院生・教職員・一般
参加申し込み費用入場無料・直接会場へ
主催早稲田大学文学学術院
お問い合わせ先早稲田大学文学部フランス文学コース
odussud@waseda.jp
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