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12月13日に、職場で「第二回クリスマスマーケット」なるイベントを開催した。数ヶ月かけて準備してきて、たったの半日で終わった夢のような時間だった。

一回目だった昨年よりも規模を拡大して、関係ボランティアスタッフと本当に大車輪で準備をした。
ビギナーズラックを果たした一回目に負けまいと頑張ったことで、少し、イベントの「かたち」が出来たと思う。
「かたち」ができると、「かたち」になっていない部分やそこからもれた部分が、問題点として顕在化する。組織づくり、企画のブラッシュアップ、連絡系統・・・さまざまな問題点を受け止めて、第三回となる2016年版につなげたい。

以下は、そうした「真面目な」問題提起とはちょっと別の話。

今回、ほんとうのたくさんのプログラムが立ち上がったのだけど、そのなかに、私が同僚の一人と「共謀」(笑)し、ボランティアスタッフ数人に制作を依頼して実現した「ことばの紙片~12のささやき」というプログラムがあった。
これは、聖句でつくるおみくじのようなもの。
聖書のなかから12の言葉をピックアップして短冊に印刷し、それをくるりと丸めて紐でとめ、おみくじに見立てる。「クリスマスマーケット」なるものをキリスト教主義の大学で開催する以上は、ささやかでもキリスト教の「かけら」を来場者の皆さんにお分けできればと思いついた企画だった。

来場者の皆さんには、二種類の方法でこの「おみくじ」を引いていただいた。
ひとつめが、来場の感想のアンケート回収ボックスの横に、看板を小さく立てて、ひとつおとりください、とする方法。(thanks for the photo to HRN!) ふたつめは、キャンパスの中庭数箇所に置かれた、1㎥のキューブの中にも置いておいて、そこに遊びに入った来場者(特に子供達)に引いてもらう方法。(thanks for the photo to Nor. @bataco003)
ひとつめの案が功を奏したか、アンケートは目標だった、来場者数の1割の回収率に近づけることができた。まずは、良かった。

でも、予想外のことが起こったのは、ふたつめの案のほう。
キューブは8つおいた(声なき私信:9つ置くはずだったのけどゴメンなさい。9つめのも、別の場所で大事にされてます)。その中に、20センチ四方の箱をおいて、そこに「おみくじ」をたくさん入れた。

イベント終了後、おみくじ制作のリーダーのNMから、「キューブのおみくじ、全部なくなりました」との報告。

ええっ? うそでしょ?
だって、来場者数の三分の一にあたるくらいの分量をせっせと作ったのに、あれが全部なくなったの?
みんなどんだけキューブの前に行列作ったわけ???
知らないうちに、「ことばの紙片」は超人気アトラクションになってしまってたんか?あんな地味な企画が???

しばらく???が収まらずにおりましたが、そのあとで、別のスタッフから面白い情報が届きました。
「あの“おみくじ”ですけど、子供たちが中庭でコレクションして遊んでましたよ。両手にいっぱいおみくじ抱えて「ほら~!」なんて自慢してる子もいました」

は?
「おみくじ」だから、一つずつ引いていただくつもりだったんですけど・・・。

当初私が想定していたのはこんな情景。
こどもがひとつ、小さなロールに手をのばし、おずおずとそれを大人に差し出して
こども「ねえ、お母さん、こんなのみつけたよ、なんだろう」
母「あら、なにかしらね、あけてみようね」(あける)
こども「あら、これって聖書の言葉なのね、「神は愛なり、だって、わかる?」
母「えーわかんない」
こども「わかんないよね、まだ***には早いよね でもこれはね、神様の言葉なのよ」

なんつって、絵に描いたような情景を想像していたわけですが・・・
(なぜか親はきまって「母」ってのがいかにも紋切り型である)

しかるに、「おみくじ」をめぐって、中庭で実際に交わされていた会話(これも想像)はたぶん、そんなもんではなかったはずである!
こども1「わ、なんかある!」
こども2「え~」
こども1「あかない、あけてえ~」
こども2「うん」(ベリべり」)
こども1「は、なり」
こども2「神、は、愛、な、り」
こども1「これも~」
こども2(ベリベリべえり)「光、あ、れ、と。。あ、さっきとちがう。ほら、もういっこあけてみて。わたしほかの基地見てくる」(と言ってほかのキューブへ)
こども1(頑張ってみるけど開けられない)「あかなーい」(半泣き)
こども2(戻ってきて)「ほかの基地にもこんなにあった。あけるよっ」(べりべり、べりべり、べーりべり)
こども3(入ってきて)「ほら、5個みつけた、ちがうやつ」
こども2「え、すごい、全部ちがうの、すごい」
こども1「あかなーい」(こども2と3に相手にされず、やぶれかけた「おみくじ」を持って保護者のもとへ泣きながら去る)
こども2「わたしあっち見てくる」
こども3「わかった、おれそっち」
ーーーそして10分もしないうちに、すべてのおみくじがごっそり持って行かれたのでしたーーー

という感じだった、のではなかろうか。
ううむうう。神聖なる神の御言葉を、遊び道具にしておったな、ぬしらはあああ!
ひょっとして「ことばの紙片 12のささやき」は、「おみくじ」ではなく、トレーディングカードよろしく遊ばれていたのでは、ありませんかあ?
な、なんという・・・、素敵じゃないかっ!
なんだその笑っちゃう遊び方は!
そんなんこちとら想定してなかったっ!

さてはて、そうやって持って行かれた「おみくじ」たちは、今頃どこにいるのやら?
400くらいは、こんな顛末、あんな顛末で、お客様がお持ちかえりくださったはずです。
「中庭に紙のゴミがたくさん出て困った」という報告も、まだうけていないしなあ。
「こども1」の涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった一片のおみくじは、誰かの手に渡ったかしら。
それとも、「こども1」の涙とともに、リサイクルに出されているかな?

宮城学院第二回クリスマスマーケットの思い出は、たくさんたくさんあるけれど、その中でも、どこにもカテゴライズできそうにないこういうエピソードは、こっそりこうしてブログに書き残しておくのがいいかなと、一言認めました。

「ことばの紙片~12のささやき」の企画立案の参謀、YMTさんに、ここでウインクと感謝を。

みなさまよいお年をお迎えください。
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e0129547_2149542.jpg(DR : Florent Chavouet

授業での無駄話として、自分の高校生、大学生だった頃の話をする年齢になって久しい。

先日の授業では、高校生、大学生の頃、待ち合わせに2時間や3時間使うことはザラだった、という話をした。

たとえば、「日曜日の3時、駅の*番出口でね」なんて言い合って、仲間うちの4人で会う約束をするとしたら、
一人は、2時50分に、もうひとりが、3時3分くらいに、さらにもうひとりが3時15分くらいにやってくる。
3人目は、「ごめん~」と言いながら姿を見せる。いつもだと3時5分くらいに来る人間。最初のふたりは、3人目が遅刻の理由を自分たちに説明するのをうんうんと聞く。二人目が言う。
「あははは、大丈夫だよ。じゃ、行こうか、**まだ来ないだろうから」
「そだよね、だいたいいつも1時間半とかそのくらい遅れてるから」と一人目。
「うん、いつもそうなんだよね」と三人目。
四人目がいつも遅れてくる人間であることを了解していることと、三人が仲間として関わりを持っていることは、イコールではないにせよ、同じ地平にある事柄だったりとかするのだ。
そして、一旦待ち合わせの場所を離れて1時間やそこら楽しく過ごしてから、当初の待ち合わせ場所に戻って四人目を待っていると、四人目がやがて、走ってやって来るのだ。
「ごめんねえ、ごめんね、ごめん~」
遅れてくる理由を、長々と説明し始める四人目。三人は三人三様に、四人目の到着を嬉しく思いつつ笑顔で「おそい~~~」「あ~やっと来た」「やっぱり来た」などと言いながら四人目を迎え、その説明に耳を傾ける。

そして、四人になると、楽しさは増大する、たいてい。一緒に過ごす時間が、もっと楽しくなる。
そしてそのひと時は、あっという間に終わる。

あれから四半世紀が過ぎた今、ありありと思い出されるイメージは、意外にも、その「楽しく過ごした一緒の時間」ではなくて、ふたり、三人と仲間が姿をみせるまでの15分間と、四人目がアセアセと姿を見せる、待ち合わせから二時間ほど経過して到来する、安堵の瞬間である。
そして、理由を一生懸命説明していた四人目が、天真爛漫なように見えながら、実は何か、口に出せないほかの悩み事などを抱えて生きていたのかもしれないなあなどと改めて思い至ったりなど、する。

なんて話を、授業中にちょろっと、してみた。学生さんたちは、「ふーん」という顔で、耳を傾けてくれる。

四人は、四人それぞれがどんな生き方をしていたか、どんな人生をこれから歩もうとしているのかなんて、たぶん、大真面目に話し込んだりもしなかったと思うんだけど、でも、四人がその場に現れるタイミングやリズムのようなものは、身体感覚で把握していた。
こういう、信頼を前提とした「待ち合わせ」は、今ではもう、体験することができなくなった。
改めてそれを「体験」しようと努力するところから、始めないといけないのだから、そもそも、そんな努力の手間は、かけている暇なんて、ない。

・・・・・・いや、そうでもないかな。
実は、一ヶ月前に、3年間使ったIPHONE一号機をやめて、ガラケーを使い始めた。また、10日ほど前から、ひとり暮らし史上はじめて、紙の新聞を、とり始めた。
世間や社会が「これが人類の進歩です」とばかりに私に提示し続けてきた、通信機器と情報収集機器。
それの最新のものを手に取る発想から、たぶん意識的なレベルでは始めて、距離を置いてみた。

おお。そしたらなんと、これは、楽である。
ガラケーに変えたら、パケ情報をダラダラと取りに行く習慣が消滅した。
そして、電車のなか、バスのなかで、本が読める。考え事ができる。話ができる。不思議と、眠くならない。
紙の新聞には、せいぜい10分くらいしか目を通さない。つまり、ひとつひとつの記事を丹念に読むなんてことは、あまりしない。。
でも、紙の新聞ゆえの「一覧性」(複数の、まったく異なるトピックスを、複眼的に、一度に捉えることができる)
のおかげで、頭のなかで、複数のことが一度に立ち上がってくる。そしたら、2年来やる気にもならなかった、居住場所界隈の場所のや地域の名称を知ることに、急に興味が湧いてきた・・・という自分を、実は昨日自覚した。私がそれらを知らず、覚えていなくても、それらは私を憎んでなど、いなかった。それどころか、私がそれらを知ろうとしているそのことを、淡々と、シンプルに、喜んでくれる・・・みたいな感慨を持っている。

待ち合わせには遅れてはならないのだなんてことは、子供の頃から教わり続けているから、条件反射で理解している。でも、それはそれだ。

あの信頼に立脚する身体感覚を抱きたかいからって、なにもそんな、「努力」なんてしなくていいのだ。
「これが一番素敵ですよ」「これが一番新しくて、一番能力が高いですよ」と人から説明され意味付けられた価値を、改めて問い直すことなしに飲み込み続けるのをやめて、その「一番」が出てきたがゆえに否定された「二番」を手にとること。コツはたぶん、これだ。
これだけがコツじゃないかもだけど、まずもって私がわかっているのが、コレ。
その「二番」はたいてい、「三番」より「二十番」より「百番」よりも何よりも、一番暗くて一番光の当たらない場所に置かれていたりするのだから、そう知ってさえいれば、けっこう、というか、ものすごく、見つけやすいものだったり、するのだ。

そう知ってさえいれば、だけど・・・。
それを「知っている」状態を維持することが、実は意外にも難しかったりも、するんだけど・・・。
その状態を、私はすぐ、意識の外に放り出して忘れてしまいがちなので、こうして、長々とメモをここに、書き残した次第、です。

推敲もせずに、UP。
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 一昨日、職場のサイトに、自己紹介がてらエッセイを掲載してもらいました。いろいろと虚実ないまぜの文章ですが、職場名は事実ですし、表現したかったことにブレはないつもりです。よろしかったらぜひ。

さて、そのエッセイには書けなかった話をひとつ。
エッセイ冒頭で、ある学生から手紙をもらった、と書いてあるんですがあれは事実です。
小さめの便箋にびっしり3枚。授業の感想が細かに書いてありました。
捨てずに大事にとっておきたい手紙をいただくいただく機会なんて、もうほんとうに少なくなりました。
たかだか30年前までは、ほんとうによく手紙を書いたし、手紙をもらうと嬉しかったし。
メールやLINE、FBなどでのやりとりで、明らかに人とのつながりのあり方は多様になったけれども、
やはり、ほんとうに伝えたい思いを込めた一通の手紙の力は偉大です。
もちろん、メールでも思いを込めることはできるし、手紙のほうが電子媒体よりも格上だとかそんなことが言いたいのではないんだけど。
でも、手紙は読むのに時間がかかります。
メールは、文字が読みにくいということはまずない。
でも、手紙は時間がかかるし、字体が人によってみんな違う。
さらりと読めない。読みにくい字や読めない字もある。
人を理解すること、問いかけることには、時間がかかるのだし、時間をかけてこそ伝わることというのがあるのだと、手紙を読んでいて思い出しました。
このことは、データでやりとりする時代になったからこそ、30年前よりもつよく思います。

あの まるきばし をわたると
だれも いそがない村がある
まめのつるに まめのはな
こうしのつのに とまる雲
そのまんま そのまんまかげぼうしになる 村のはなし
北の大臣(だいじん) 南の酋長(しゅうちょう)
一日(いちにち)おきに けんかするってほんとですか
ほんとですか
ほんとですか


ああ、子供のころ、好きだったな、この歌。
たまに、心のなかで、うたいます。
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あけましておめでとうございます。
2015年が明けました。←あと3時間後ですが
本年もどうぞ、よろしくお願いします。

私の2015年のテーマ、「稜線を行く」です。

ここ3日ほど考えて、たった今、ストンと来ました。
稜線とは、山の峰と峰を結んで続く線のこと、だそうです。
頂上を目指すのではない。頂上と頂上とを結ぶ線を、進むということ。頂上にたどり着いても、それはゴールではなくて、あくまでも通過点でしかない。
稜線が隔てる二つの世界を縫い合わせるかのように続く道程。
遠くで眺めれば美しく、けれど実際にそこを歩む者にとってはおそらく全然らくちんじゃない。
でも、心に思い浮かぶ稜線のイメージや、夜の闇に輝く月は、地上にいる時よりもずっとはっきりとした像を結び続けると思う。それが、歩み続けるための心の肥やしになると思う。

なんか、そういうイメージですかね。

しかし、足腰も弱いし老眼も始まっているしで、よく転んだり倒れてノビていることもあると思います。
見逃してくださいね~
あと、私と一緒に稜線づたいに進みたい方、ご遠慮なく~
ふもとから手を振っていただくのもありです♪
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【写真:「クリスマス・マーケットin宮城学院女子大学」プログラム「I pray for me 礼拝堂に巡る」(produced by Kayoko Inoue and Naoko Yoshimura)より】
年内に、クリスマス・マーケット(勤め先で、12月13日に開催して好評をいただいたイベント)の思い出話のブログ記事をアップしようとおもっていたのに、2014年、あと2時間余りだ。
もう長くは書けないうー。

キリスト教主義教育という「核」がイベントを支える思想となってくれたこと、人文系からデザイン系食育系までいろいろな学科が長い歴史とともに並存しているがゆえに「すでにずっとまえからそこに存在していた宝の山」に、ずっとかかっていたふんわりベールを取り去るだけで充分だったこと、偶然と出会いとに恵まれたこと、などなど、いろいろあるけれど、まあ、そのあたりのことは、公式の報告書にたんまり書くとして、である。

でも、年が変わらないうちにどうしてもここに記録しておきたいこと、それは。

これに関わった多くの人々が、イベントを「消費」するのではなく、イベントを「創造する」側にまわった、という、そのことである。

世にイベントと名のつくものは、いろいろ、いろいろ、ある。
私たちはそれを消費したり、傍観者として遠目に眺めたり、無視したり、「いちおう行っておかないと意見もいえないし」と義務で参加したり、する。
でも、イベントというものがそもそもそういうものでしかないのであれば、「第一回クリスマス・マーケットin宮城学院女子大学」は、イベントと名のつくものでは、なかったかもしれない。

「第一回クリスマス・マーケットin宮城学院女子大学」に参加した人、作った人、運営した人。
多くの人々が、あのイベントにとって、一種の当事者であり、広義の運営主体のような、そんな立場でいてくださったのではないかと、思う。そして、そうではない人々を包み込むようにして、守ったのではないかと、思う。

アクシデントがあっても、品物が完売してしまっても、会場案内図が不明瞭でも、ワークショップの待ち時間が長くても、それをもって「この企画ってだめじゃん!」と切り捨てる発想よりは、「ここがもっとこうなったら楽しかったのに。来年は是非改善してください」と建設的なコメントを残すような発想でいてくださったひとが、多かった。切り捨てる発想の人々がいなかったはずはないのに、その人たちは、建設的なコメントを出したかもしれない類の人々に守られ、包み込まれた、いやされた、と。そんな気がしている。

このポジティヴな発想がマジョリティを占めたらしい理由は、たぶんだけど、学生ボランティアのみんながほんとに頑張ってくれたからだと、私はすごく強く思っている。
はじめてのイベントで、誰も正解を持っていない状態のなかで、縮み込んだり不安がったり文句を言ったり愚痴を言ったりするマイナスの発想に取り込まれたり巻き込まれたりするのではなく、「今この瞬間自分の目の前に起こっていること」に対して最大限の努力でこたえ続けようという、そういうスタッフが、おそらく、すごくたくさんいたんだろうと思う。

臨機応変ということばは手垢がついていてそれ自体の価値を実感する機会ってなかなかないかもだけど、今回の12月13日ほど、「臨機応変」ということのプラチナのような不変の価値を実感した経験ってなかった。

今目の前に起こっている出来事や、目の前にいるその人に対して、自分の最大限できることを、一生懸命考えて、まよわず行動に移す。できないことに対して落ち込んだりくよくよするよりも、まず、そういう臨機応変性を手離さずにいる。
そういうことをやったスタッフが、たぶんすごく、多かったのだ。

そして、そのことが、12月13日の宮城学院を、明るく、優しい空間に押し上げてくれたのだ。
と、思う。

そう。もちろん、やまほどある反省点は、準備委員会のものだ。
彼女たちの頑張りが引き継いでくれたバトンがまたこちらに戻ってきている。来年に向けてまた、彼女たちがつくったこのたからものみたいなパワーを、丁寧に包んで、大きく、押し出さないといけない。
そうすることでしか、彼女たちにきちんとお礼が言ったことには、ならないだろう。

東京近郊にお住いの、私の知り合いのみなさん。
宮城学院って、あんまり、名前、聞いたことないでしょう? なんとまあ、もったいない!
知らざ言って、きかせやしょう!2015年12月、バージョン・アップした「第二回クリスマス・マーケットin宮城学院女子大学」に、どうぞお越しくださいませね。

みなさん、かんしゃしています。
ありがとうございました。
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暴風雨のような忙しさの中にあるが、それでも日々のルーティンワークは厳然とそこにあり、時は確実に先に進んでいる。12月13日のイベントが終わったら、きっと、仰天するほどのスピードで、2015年が私の人生に突っ込んでくるに決まっているのだ。

さて、2015年のテーマ。どうするかな・・・。

2014年は「聞くを愛する」
2013年は「ときわ」
2012年は「これを、ひらく」
2011年は「クラシック」
2010年は「やりたい」
2009年は「過去と未来をつなぐ」
2008年は「恩返し」
2007年は「一矢を報いる」
2006年は「実りの年」

はやいもので、これをやり始めてから、今回で10回目というわけか。これもまた、一つの節目だ。

今年のテーマ、「聞くを愛する」か・・・。
そのアクションを、自分が取ることができたわけではまったくなく。
ひたすらしゃべりまくってしまった。
ただ、自分がいかに優れた聞き役たちに、囲まれて暮らしているか、実感し続けた1年では、あった。

2015年。どうするかなあ・・・。
めずらしく、12月の頭に、まだ、テーマが影も形も見えない。
こんなこと、これまでにたしか、一度もなかったのだけど。
12月中にはすでに何かおもいついていて、それを12月のどんづまりになって変更する、ということはあったけど・・・。
今となっては、「それ」が、言葉ではもはや言い表せないこと、だからなのだろうか?

わからない。
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12月号の白水社「ふらんす」にも記事を寄せたが、ここ半年ほど、フランスのステンドグラス作家ガブリエル・ロワール(Gabriel Loire, 1904-1996)のことを、時間のある限り考えたり調べたりご家族と連絡をとったりしている。

宮城学院の礼拝堂のステンドグラスの作者がこの人だったから、ということで、調査ミッションが下ったせいで、この夏に彼の家族がやっているシャルトルの工房を訪ねた。

12月13日に宮城学院で大学主催としては日本初のイベント「クリスマス・マーケット」を行うのだが、そのなかでこの人についてすこし、話すことにした。

わたしは、美術は門外漢だ。ステンドグラスも、宗教学も、図像学も、尚の事、まったくわからない。
でも、この人の仕事を調べているうちに、20世紀がいかに無名性の世紀だったかということを、思った。
この人の仕事はほんとうに多岐に渡っていて、どういう括りでも捉え切ることができない。
ステンドグラスは当たり前として、油彩、フレスコ、陶器デザイン、広告デザイン、挿絵、クロッキー、宗教画・・・彼は、なんでもやった。なんでも。丁寧に。

なんでもやった。

彼の表現者としての腕がどの程度のものなのかわからない。
だけど、この人が、なにかとても本質的なことを理解してしまって、理解してしまったそのことを、自らの表現技能の最大限を使って、人に伝えようとした(意識的か無意識的にかはさておいて)、ということは、どうしても信じたい気がしている。

晩年のガブリエル氏が描いた、《星の花咲くアーモンドの木》は、花が光を受け止めているのか、光が花を射抜いているのか、わからないけれど、でも、この花びらは、花びらではなくて、光を私たちに伝えるなにかなんだ、ということだけは、わたしは、信じたいなあと思う。
目に見えるものを描きたかったのではなくて、目に見えるものを介してしか描けない、目に見えないものを描こうをしていたんだろうと、そんなことを思いながら、この人について日本で始めて講演の形で人に伝える準備をしている。

うまくは伝えられないので、誠実に、伝えたい事柄を引き受けるテキストの一つ一つの音に情報を載せるだけの講演ができると、いいんだがなあ、と思う。難しいんだけど・・・。
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Au commencement, Dieu créa les cieux et la terre.
Or, la terre était informe et vide ; les ténèbres couvraient la surface de l'abîme, et l'Esprit de Dieu planait sur les eaux.
Dieu dit : "Que la lumière soit !" Et la lumière fut. Dieu vit que la lumière était bonne ; et Dieu sépara la lumière des ténèbres. Dieu appela la lumière Jour ; et il appela les ténèbres Nuit. Il y eut un soir, et il y eut un matin : ce fut le premiere jour.
La Genèse. Les temps primitifs. Création du monde et de l'homme.

はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕ととなり、また朝となった。第一日である。
創世記 第一章より(『旧約聖書』1955年改訳、日本聖書教会)
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e0129547_13143578.jpgせんだいメディアテークで展示「記憶と想起」をピンポイントで2時間だけ見てきた。酒井耕監督から、この展示のなかで、東北三部作(酒井濱口共同作品)のカメラ位置「Z」が再現されている部屋があるとお聞きして、是非見たかった。時間がひどく限られていて、ほかの映像作家の作品を昨日はほとんどゆっくり見られなかった。会期はまだ大丈夫だから、これはいずれ、リベンジするとして。

東北記録映画三部作』(酒井耕 濱口竜介 共同監督作品、2013年)は、東北で震災に直接的・間接的に深く影響を受けた二人の対話の集積だ。この「二人」は、友人どうしのこともあるし、誰か一人と、映画監督のうちいずれか、ということもあるし、同僚どうしのこともあるし、夫婦であることもあるし、いろいろだ。

この三部作、カメラワークがおもしろい。ふつう、対話している二人を撮影しようと思ったら、カメラは横からとか、片方の人の後ろ側から、映像を撮っていくことになる。そうすると、画面には二人が映る。あるいは、片方の人の身体の横か上にカメラをおいて、もう片方の人だけを捉える。普通はそうなる。
でもこの三部作では、どのペアも、二人それぞれが、正面から画面いっぱいに捉えられるシークエンスが長く続く。でも、画面にうつるその人が、自分の相方と「向き合って」話をしていると自覚していることは明らかである。それは、その人の受け答えに、相方がきちんと声で応じているからだ。
相方は、その人の正面にいて、カメラの向こうからその人に語りかけているのか? 仮にそうだとしたら、その人の目線はどうしてきちんとカメラのレンズに向いているのだろう。カメラの上にいる相方に向かって語りかけるなら、目線はレンズの上になるはずだ。

この謎は、以前から、「わすれん」(3.11をわすれないためにセンター)の一プロジェクト「かたログ」で、両監督がすでに解き明かしていた。それが「Z」型のカメラ位置。カメラは常に二台あり、話者二人をそれぞれのカメラが正面から捉えている。片方の話者の脇に、相方を捉えるカメラがある、という位置関係。
つまり、視線ではカメラをみつめながら、声は、カメラの真横にいる相方のそれに答えているのである。
相手を見つめて喋るのではなく、相手がそこにいると十分に知った上で、視線はカメラを、声は相手をそれぞれに指向しているのだ。

この二人の被写体の関係は、横たわる人とその人に語りかける人の関係と、すこし、似ているかもしれない。
寝たきりだったり、入院していたりなどで、視線を見舞う側に差し向けることができない場合でも、その人が、声を見舞う側に差し向けることで、「対話」は成立する。

この「声」と、「ヴィジョン」とを逆にしたら、たぶん、対話は成立しない。
相手の目がどれだけしっかりとこちらを見つめていたところで、その相手がこちらに差し向ける声が、ほかの人に向けられていたら? そんな実験はしたことがないが、こちらの目をしっかりと見つめながら、こちらに声=意識を差し向けてくれないその相手は、要するに、そこには「いない」のだ。その時私が感じるのは、寂寥感であり、絶望感であり、孤独感であるだろう。
加筆。いや・・・ことはそんなに単純ではないかもしれない。その人の「声」が私を指向していないことが明らかでありながら、こちらを見据えるその視線に揺らぎがない状態というのは、単なる寂寥感では片付けられない、もっと重大なことが、私におこるかもしれない。ふとそんなことを。ここは、熟考が必要である。

ことほどさように、「声」は重要である。
(もちろん、じゃあ会って話すよりも電話で話すほうがより良いコミュニケーションを取れるのかというと、それは違う。これは、まったく別の問題だ。これについて今日書いている時間がないのが残念)

「声」は、それがこちらに差し向けられることによって、相手の意識のなかに、自分が「存在している」ということを、はっきりと肯定する。
考えてみると、これにはびっくりである。
私は、どんな種類の、どんな年齢層の、どんな尺の授業でも、あらゆる授業で必ず言うようにしているのは、「あなたの考えていることを、私は、知らないし、わからない」ということなのだが、相手の「声」が自分に差し向けられたときだけは、この「わからなさ」にちいさく穴があき、光がもれる。このときだけは、少なくとも、相手の意識のなかに、自分が存在しているということを、私は、肯定できる。だからこそ、「あなたの考えていることを、私は、知らないし、だから全然わからないけれども、ただ、あなたの声が私に差し向けられているときだけは、私という存在があなたの中に認識されている、ということを、わかります」と言い切ることが、できるような気がするのだ。

ただ、このとき、問題となるのは、「声」がこちらに差し向けられていると確信できる、その理由がいったいなんなのか、ということである。
どうして私たちは、その「声」が自分以外の誰かに差し向けられているか、あるいは自分に差し向けられているかを、感じることが、できるのだろう。
信頼があるから? ではその信頼っていうのはいったいなんなのか?
ひょっとしたら、その「信頼」さえ伝われば、「声」は、それこそ「沈黙」すなわち「発語の不在」に取って代わることさえ、できやしないだろうか?

ルイ・ジュヴェが、若き俳優たちに指南するときによく口にした言葉が思い出される。
「君と、相手役と、観客と、三人で話をしているつもりで喋りなさい」

昨日は時間がなくて、三部作のうち「なみのこえ 気仙沼」のごく一部だけしか見られなかったのだけど、「喫茶マンボ」の二人のシークエンスを5~6分ずっと聞いていて、改めて、「ああ、私はこの二人を好きだし、理解したいとおもう」という気持ちになれた。以前この映画を全部見たときもそうだったけれど、たった5~6分見ているだけでも、そういう気持ちになれるのだ。
それは、このカメラ位置「Z」が、「声」に乗せられた相手への信頼を、ある意味で可視化するという役目を、優れた形で果たせているからなのだろうと、おもう。

この二人はもちろん、私のことなんか知らないけれど、でも、二人のあいだで「声」がとても誠実に届き合っているとき、それを目撃する私は、ひょっとしたら、ジュヴェの言うところの「観客」になっているのかなあ。
3月のジュヴェに関する国際学会がパリで開催される。ジロドゥとジュヴェについてずっと考え続けてきた縁もあり、ここにエントリさせてもらっているので、そろそろネタを考えないといけない。たぶん、ここで、この三部作について、私はごく短くではあるかもしれないが、確実に言及することになるだろう。

「声」あるいは誰かを志向する「声」には、自己と他者を永遠に切り分ける闇をさしぬく力がある。「声」は、闇という閉じたものを、拓く。開く。ひらく。そこに、光が、ときとして弱々しく、ときとしてさしぬくように、一本の線を描き出す。
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ここのところ、必要があって、自分がなぜフランス語をそこそこ話せるようになったのか、思い出そうとしている。
やり始めて30年近くになろうとしているけれど、全体に大きく5つの時期に分けられる。

1.最初の2年間(20歳前後)
苦学という言葉と無縁だった時代 勝手にするすると身体に言葉が入ってきた時代 何よりもどこよりもフランス語の学校で学んでいるときが一番楽しかった時代
2.次の10年間(20代) 
自分にかなり負荷をかけ 労多くして実り少ないことへの焦りと悲しみと不安感と常に背中合わせの時代
3.留学期間中  
読み書きを決定的に頑張らないといけない状態の中で日常をフランス語で話すことで、自己否定と背中合わせの毎日を過ごしつつ しかし言葉の使い手としては飛躍的な伸びを見せた時代
4.その次の10年間(30代)
日本にいながらにしてフランス語と関わるとはいったんどういうことか、答えの出ない自問自答のなかで、それが生業になりつつあることを肌で感じるようになった時代
5.ここ数年
自分の関心が、「言語の習得」そのものから、「言葉では伝えられないこと」あるいは「言葉ではごくごく一部しか伝えられないか、あるいは誤解を含んでの伝達しかできないこと」へとシフトした(だからといって「言語の習得」への興味は以前のまま持ち続けていることにかわりはないけど)ことで、フランス語の使い手としての不出来だけに凹んでいればよかった時代が終わってなお 私はここにいます の時代

だいたい、こんな感じか?



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