2017年は「素直にひとり」

2017年のテーマ、を決めました。
「素直にひとり」にします。これで、今、すとんと来た。

2016年は「斥力を使え」
2015年は「稜線を行く」
2014年は「聞くを愛する」
2013年は「ときわ」
2012年は「これを、ひらく」
2011年は「クラシック」
2010年は「やりたい」
2009年は「過去と未来をつなぐ」
2008年は「恩返し」
2007年は「一矢を報いる」
2006年は「実りの年」

2016年は、本当にむずかしい1年でした。引力や重力はもちろん、斥力さえも自らのパワーに変えるという不条理の極みのチャレンジの日々。特に最後の3か月は、身体と心のきわを日々心眼で目視しつつ、細いしかしそれなりに芯のかたい木の枝を出来る限り地表奥深くに突き刺してしがみつきつつ、寄せては引く津波のようにやってくる疲労と仕事とに押し流されそうになりながら生きました。2016年の年末、ようやく海が凪いで、それでも次のしけや津波がまだ予測される緊張感は去らないまでも、こうして例年通り、新しい年のためのモットーを考えることができるのは、私が頑張った結果ではありますが、それでも、単にラッキーだったからでもあります。
生きながらえた偶然に、感謝しています。

そんな苦しさの中で気づいた、大切なことが2つ、ありました。
1)既存の社会とは、「人に害をなさないための工夫」だけを教えてくれる仕組みなのであって、「自分をいつくしむ」方法はただの一つも教えてくれない仕組みだということです。
20代後半に社会人と言われる立場になってからというもの、よく、「自分を大事にしなさい」「仕事しすぎ」「健康第一!」と叱られていました。でも私は、どうして叱られるのかわかりませんでした。「人のため」「いわれたことを従順に」「できるだけ失敗を少なく」することで、「人に害をなさないようにする」という、生まれてことかたずっと教え込まれてきたことをただただ一生懸命やっているだけなのに、なぜしかられるのか。人の役に立つこと、他者のためになること、社会のためになることしかやろうとしていないのに、いったいなぜ・・・? 
でも、今年身体を壊したことで多分、ようやくハタと気づいたのです。
なんだ!自分を大切にする」ということは、みんな、人から教わるのではなく自分で考えているのか!知らんかった!と。
だから、2017年からは、「自分を大切にする」という、私にとっては完全に未知との遭遇のフィールドに入っていくのだという思いがありまして、それをテーマに入れ込めたらなあと思っていました。

2)私は、一人ぼっちがダメな甘えん坊だと思って生きてきたのですが、実はむしろ逆で、「ひとりでいたい」という気持ちをぐっとこらえて人と一緒にいる努力をし続けて生きてきたのだ、ということです。ひとりでいたかったのに、誰かと話をしないといけない。でも、誰かと話すことはとても大変。だから、相手の意見をできるだけ優先し、自分の意見を特に持たないようにする。叱られそうになるよりも前に、叱られておく。あるいは、さきに謝っておく。相手質問を受けたら、「すみませんすみませんすみません」と言って終わりにする。モラハラ構造を、内在化させていたということです。
・・・。
だから、私はずっと、自分が無責任で自主性のない、意見をもてない、価値のない人間だと思って生きていたように思います。
けど、それは実は、組織や構造に組み込まれるように仕向けることを、「自分を大切にする」ことに優先して生きてきたからに過ぎないのでは? そういう命令を社会から受けたからただただ従順にそうしてきたのではないのか? もっというと、私はそのくらい、馬鹿がつくくらい、シンプルというか素直というか真っ白無色透明な単細胞人間なのだ、ということなのでは・・・? もちろん、「そうしろって言われるからそうしてるんだけど、なんか、あちこち痛いし苦しいし疲れるなあ」とはずっと思っていたのですが。

しかし、この年末、社会の垢やひずみや構造や記憶をすべてこそげおとして、ただただ「ひとり」になってみて、よいのだよ?と私の中の声がささやいているのが聞こえます。
その声の主は、何やらにぎやかに、誰かいろいろな人たちの発する声と、言葉を交わし合ってもいるようです。
つながりや、しがらみや、遠慮や、執着や、人の作った慣習を丁寧に洗い流した後に残る、梅干しの種のなかにひそむ仁のような私が、たぶん、ずっとずっと、無傷なままで、私の内側に眠っていたのではないかしら、なんて。それが、単細胞アメーバの鎧がずっとずっと、守ってきたのではないかしら、なんて。

その、内側の内側にいる私は、ひとりを愛し、ひとりで生きることを、とても大切に思っているのではないのかな、なんて。
2017年から、ひとりで生きることを、もう遠慮しない。勝手に、いもしない相手に対して遠慮しながら生きない。ただ私自身が好きになれるひと、もの、自らを高めたいと願うその思いに対して誠実にいるということを、始めたいと思います。
48年もギプスをしていたので、骨の形もまがっていると思うけれど、でも。丁寧にほぐしつつ、「わたし」というひとりを、マッサージしながら立たせて行きます。

2017年は、本当にたどり着きたい頂上があるなら、迷わずひとりでのぼります。
その頂きから「おーい」と叫んだら、向こうがわやあっちの山の頂に、やはりひとりでのぼっている影を認め、私は賑やかに、その声に語り掛けることでしょう。
遠慮や杞憂やうそっぱちの善人魂を、2016年のブラックホールに放り込んで、2017年にひょいと飛び移ります。

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by apresthese40 | 2016-12-31 21:38 | よしなしごと | Comments(0)