さよならだけが人生だ、っていう、そのことについて

おかげさまで12の倍数の年齢を迎えました。
昨日はちょっと動悸がしたりして、ああ、いろいろと老朽化が始まっているのだなあとぼんやり感じながら眠りにつきました。

ここ5年くらい、自分の中の何かが急成長を始めて、いろいろなものを突き破って、ジャックと豆の木に出てくる豆の木みたいにすごい勢いで成長しているなあ、そんな印象を自分で持っています。
そのことと連動してなのでしょう、毎日がとても、とても、忙しいです。
「仕事をもっとセーブしなさい」
「無理は禁物」
「体調管理も能力のうち」
などと噂されたり直接言われたりしながら、一生懸命生きている感じ。
そんな毎日を過ごしているなあと思いつつ、こうして節目を迎えてみて、さきほどふと、思いました。

さよならだけが 人生だ

ということば、ありますね。
一期一会とか、人との出会いは儚いものだからたいせつにするといいということのたとえだとか、そんなふうに教訓的なニュアンスで言い換えられる言葉なのだろうなあと漠然と思っておりましたが、なんだかさっき、そうじゃないぞって気づいて、すとんと、腑に落ちました。

折しも、卒業やら転勤やらと、異動と移動のシーズンです。
ですが私は、そんなシーズンであろうとなかろうと、「この人とは明日もう会えないかも知れない」と、私は常に、思いながら過ごしているらしい。
普通に授業で出会う学生たちにせよ、職場の同僚たちにせよ、家族にせよ。

でも。
「もう二度と会えないかも知れない」と思っているからといって、私はどうやら、それを悲しいとか寂しいとか、あんまり思っていないみたいなんです。いやむしろまったく逆で、大好きで大切で仕方がないものや人々に対してしか、「これが最後かもしれない」と毎日心から思ったりはしないんじゃないかということに、さっき、気づきました。そのくらい大切なモノたちや人々に、私がこんなにであってしまっているという事実は、圧倒的。
だから今のところ、私には、別れがあんまり寂しくありません。

「好きになる」ということは、その「好き」の対象とはもはや、別れるということが、ないんですな。

だから、「さよならだけが 人生だ」という言葉を翻訳したら、「私にはこんなに大切で大好きなものばかりがある。人生ってすげえなあ」という感じになるんです、私の場合。

でも、家族とは、もうちょっと、ちゃんと一緒にいるようにしないとだな苦笑
はい、そうします。
あ、病院、行きますちゃんと。誓います。

皆さんの門出を心からお祝いします。

ご卒業おめでとうございます。
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by apresthese40 | 2016-03-24 22:18 | よしなしごと | Comments(0)