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「おやつ大學」がおこなわれました

本日(というか明けてもう昨日だ)、早稲田文学部で予定通り講演会「おやつ大學」が行われました。
おかげさまで無事終了、アンケートというか出席カードにも興味深いコメントを多くのお客さんがお寄せくださり、ささやかな出会いの場創出のお手伝い、すこしはできたのかなあと、不安と安堵がごちゃまぜの、妙な気分です。
まえださん、おださん、おかださん、有難うございました。
お越しくださった方、ワークショップを楽しんでくださった方、有難うございました。

ですが。
一つだけ、大急ぎで訂正しておきたいことがあります。
恥ずかしながらほとんどグロッキー状態で、今日は日中からあり得ない勘違いやミスが続いていたのですが、最後の講演=トークのところで、わたくしひとつだけ、フィクションというか嘘というか、事実と異なることを、言いました! ちょっとぼーっとしておりまして、発話内容を頭で制御しきれませんでした。

というのは。

おやつテーブルのリアルとフィクションが地続きの奇妙な世界を、大学の教室という私にとっての日常とつなげてみたらいったいどうなるんだろう?と思い立ち、そのあたりのことをライブ感たっぷりに伝えていただこうと「おやつ大學」を思いついたのは、おおむね、私なのです、が。
あの開かずの小窓のついた、60年代を思わせるつくりの教室を、「おやつ大學」の会場として想定したのは、わたしではありません! まえだまなみさんご自身です。
さまざまな教室を見ていただき、「おやつ大學」のコンセプトを実現できそうな教室をセレクトしていただいたのでした。
「おやつテーブル」の作品のオリジナリティにかかわる大事な問題だと思いますので、訂正しお詫びします。

大学の、なんの変哲もない地味な教室が、あんなふうに生き生きとするさまを見ることができて、幸せでした。
そうだよ。教室は、活気があってほしい。一人でなく、たくさんの他の人と、好むと好まざるとのかかわらず一緒にいる教室という空間にいるときは、友情なんてあやふやなものでばかりつながっていないで、心なんて関係なく、からだは明らかにその場を他の人と共有しているのだ、という感覚を、ストレスなしに持ち続けられたらなあ、って思う。

それにしても、「ひとがた」のラストはほんとに「しんどい」、平常心をキープするのが難しいくらいに。手を上へ上へと伸ばすしぐさが、思い出せもしない悲しみを、遠くへ静かに放つ、あの感じ。
両手を天にのばすと、小さくて静かな幸せがそこにある、そんな印象だ。
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