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目撃してしまった、とんでもなくゴージャスなものを

大友良英 ダブル・オーケストラ !
今日も明日もぱっつんぱっつんの忙しさだけれど、記憶が鮮明なうちに、書き残しておきたい。
というわけで、数時間後にここにレポートUPします。

追記。
駄目だ今日はもうへとへとで眠い。
でも、今日のイベントUSTREAM配信されていたことがわかり、ほおお^^^!
こちらから



いろいろと、スケジュールがぱっつんぱっつんなもんで、一つ一つこなそうと思っているのだけれど、6日に見に行った大友良英ダブルオーケストラの感想を書いてしまわないと、結局のところ何をやっても落ちつかない感じ・・・なので、もう観念して、書きます。

このオーケストラが、なんとなくものすごく大事なイベントになるような気がしていて、大友良英って誰?っていう顔をした早稲田の文学部の学生さん130人にビラをまいたところ、うち2名が「聴きに行きたい」と手を挙げてくれた。でもあえて、彼らと待ち合わせはせず、当日現地集合に。ひとりで音を受け止めたい、という思いが強かった一方で、聴いた後の感想を誰かと語りたい、という気持ちもあった。彼らとはコンサート終了後、食事をしながら小一時間。楽しかった。

楕円重力演奏会、というネーミング。「指揮者」が複数いるという奇抜なアイディア。オーケストラは、三味線からドラム、私にはわからない謎のPAシステムまで、ありとあらゆる楽器を持って参集した100人以上の人たちで構成されている。楽器を持っている人たちが全体に二つに分かれ、それぞれに対応する場所に指揮台が一つずつ。「指揮者」として参加しているプロの音楽家数名のうち二人ずつが交代で指揮台にあがり、それぞれが片方ずつのオーケストラを指揮する仕組みだ。楽譜はない。ただ、指を1本出すとこうだとか、2本ならこう、3本ならこう、白い紙を出したら、緑だったら、赤だったら、オレンジだったらこうする、などといった、指示の決まりは10数通りくらい、あったと思う。二人の指揮者がそれぞれに、自分の感覚を信じつつ、その指示を適宜出す。でも、二つのオーケストラをどんなふうに「連携」させるのかは、指揮者同士のアイコンタクトやら皮膚感覚みたいなものによる共鳴とか、そういう、言葉ではおよそ言い尽くせない何かによって実現させるしかない。「連携させよう」と思ってもうまくいかなかったり、連携させる意図がないときに、思いもよらない二つのオーケストラの「出会い」がおこったりとか、する。
  長方形のホールの長辺側に、二つのオーケストラ。そのそれぞれの正面に、指揮台。向かいの長辺に、入口と、ギャラリーの居場所。そしてギャラリーは、長方形の真ん中部分、つまり二つのオーケストラの縁部分から指揮台の周囲に至るまでもが、やはりギャラリーの居てよい場所だった。たくさん、黒くて小さな座布団が置いてあって、そこに自由に座ってよいのだ。わたしは、二つのオーケストラ前面、ちょうど境目の部分に座った。そこは、指揮をしていない時の大友さんと飴屋さんが座る席で、そこにいるときの二人は、オーケストラのメンバーとして、大友さんはギターを、飴屋さんはお金(?)とシロフォンみたいな楽器を「演奏」していた。指揮者をする二人の人の表情も動きもよく見えたし、オーケストラの「息遣い」も肌で感じられる場所だったと思う。

わたしには、できる楽器はない。中学二年までピアノを習わされていたけど、もうそのあとは、それっきり。最初に大友さんが「チューニングしましょうか」とか言っていたけど、演奏家それぞれが、あのとき音をどう合わせたのか、ちゃんとチューニングしたのかなんて、全然わからなかった。だから、音楽のクオリティとか、即興音楽としてどう新しかったのかとか、そういうのはよく、分からない。それでも音について、一つだけ、ここに記録しておきたいのは…。「白」の紙は、指さしの紙といって、指揮者に「指を差された」と感じた奏者が、音を出す。わたしは、指揮者の動きもみたかったしオーケストラも見たかったしで、360度ぐるぐる回転しながら聴いていたけれど、そういう、ソロの音のなかには、背中で聞こえてきたときに、どうしても振り返ってその音源に何があるのか見てみたくなる音があるのだなあ、と知った。これが、楽器の種別によるものなのか、それとも、音を出した奏者に起因することだったのか、分からない。
  そして、やっぱり面白かったのが、指揮者のみなさんの様子だ。初回とアンコールだけが、大友さんの一人指揮で、あとはええっと近藤VS芳垣(だったっけ)、OLAibi VS Sachiko.M、などなど。しっかし、芳垣VS Sachiko.Mと、大友 VS飴屋は、んとにおもしろかったなあ~~~! 背筋を伸ばした芳垣さんはえらくダンディだったし、指揮をしているSachiko.Mさんはカリスマ性150%の女番長みたいで、なんかも~踏まれたくなったくらいにかっこよかった。まっすぐ立ってる飴屋さんを多分初めて見たけれど、飴屋さんは……あーでも飴屋さんは飴屋さんだった気がする。そして、大友さんが……。ええと、これまでわたしは、この日記で、大友さんのことを「クマ」だのなんだの形容したことがあるのですが、ええと、なんつうか、指揮をしている大友さんはですね、なんつうか、もんすごいオーラを放っていて、腰が抜けそうでした。なんつうか惚れたかも。あ~やばい。やばすぎる。
それにしても、ラストの、大友VS飴屋の回は、圧巻でした。わたしはここ半年くらいの間に、大友さんの書いたものを読むたびに、それが飴屋さんの書いたものなのか大友さんの書いたものなのか、なんだか分からなくなってしまうような錯覚に陥るようになって(それを飴屋さんに「そんなわたしはやばいでしょうか」とお尋ねしたところ、「まあ、いいんじゃなあ~い?」とおっしゃっておられましたが・・・)きていたわけですが、なんかうまく言えないが、あれが、ある意味錯覚ではなかったのかもしれないなあ、という感慨を持った。いや、そんな感慨はまったく主観的なものでしかなく、説明や言語化はうまくできないのだけど。そこにいるたくさんの人々と大真面目に遊ぶんだ、という感じを、二人ともオーラとして放出していて、そうすると、オーケストラのメンバーも、音の出し方の強度みたいなものが違ってくる、そんな気がした。
将棋でいえば、二人とも、王将になることを最初から拒否しているし興味も持たないけれど、でも、二人でいると、どうしても、飛車と角というか、大鵬と柏戸というか、項羽と劉邦というか。
で、最後アンコールで大友さんがもう一度一人だけで指揮をしたら…。見たこともないようなオーラが……。やっべえ、ここでこの人になんかそそのかされたら、とんでもないこともやってしまうかも、的な、すごい求心力を感じた。ちょっと、怖いくらいだった。そして、一人でいるときにこれだけの求心力を持っていながら、一匹狼でのパフォーマンスではなく、たくさんの人たちを巻き込むことのほうにばかり興味がいく大友さんは、やっぱすげえ、と思った。大友さんと飴屋さんの間の信頼関係みたいなものが、ダブルオーケストラという、ユニークとしか言いようのない超音声多重のPAシステムによって、無限通りの可能性をもって増幅されているのを目撃できた。よしもとばななさんじゃないけれど、「このおふたりと同じ時代に生まれてほんとによかった、もしもおふたりがいなかったら、この世はもっと悲惨なものだったのに違いない」と思った。
コンサートが終わって、飴屋さんとコロスケさんをお見かけした。本当に幸せそうになごんでいるお二人の姿が、ぽかぽかとあたたかく、緊張感のほぐれた、気持ちのいい会場にふんわり浮かんでいる感じだった。

大友さんは、これだ!と思える人を周囲に集める一方で、何かをしかけるための仕組みを考案する。そのふたつを突き詰めたあとは、本番は、偶然と熱意に任せて突き進むような、そんな方法をとっておられたと思う。あの方法論、もちろん真似なんてそうそうできないけれど、でも、大学の授業に応用できたらなあ、といつも考えてしまう。仕組みを作り、熱意を育てた後は、受講生に任せる、あの感じなあ。

そんなこんなで、150%の期待に、300%の満足で答えていただいた、本当に稀有な時間でした。
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