奇妙で素敵な夢を見た。久しぶりできれいで大きな夢だった。書き残しておく。
どこかの見知った道を進んでいたら、大きくて白い2,3段の階段が、道をふさいでいた。階段の手前にはおばあさんというかおばさんがいて、私に何か話しかけた。私はその階段を上った。降りようとしたら突然、その白い階段は動き出した。白い階段は実はトラックだった。おばあさんはその運転手だった。私は階段にくっついていた取っ手を握り、宙ぶらりんになった。トラックはまるで飛ぶように走っていく。空を進んでいるようである。宙ぶらりんになりながら、「ああ、約束に遅れちゃう、今日は2時にサル―と会う予定だったのに。彼女と会うにも6時までしか時間がないから、それまでに会いに行かないといけないのに」と思っていた。見知らぬ街で不安の中で乗り過ごし続けるバスのように、白いトラックはまるで羽が生えたかのようにぐんぐん進んだ。トラックから手が離れそうな瞬間もありひやりとしたがあまり不安も感じない。そして、見知らぬおおきな繁華街を通り抜け、ふと気づくと、トラックは泊まった
彼女はたしか、フランス語で言った。「ほら、これが倉庫の鍵。これが、家の鍵。先に行って、開けておいて」。私は答えた。「見知らぬ場所の鍵を開けるのは怖いです」。すると彼女は言った。「ああ、そういえばそうだよね。ちょっと待っていなさい」。彼女はほどなくしてトラックから出てきて、家なのか倉庫なのか、その先にある黒ずんだ小さな建物の扉を開けた。中は、なだらかな階段状の小道が奥へと少し続き、行き止まりになっていた。その左手には長屋が並んでいた。長屋を進むと行き止まりで、その先には、不思議な人々が住んでいた。どうやら、みな、大道芸の芸人らしい。彼女が何か言うと、彼らはあっという間に、大道芸のピエロの扮装に変わった。私はうれしくなった。
おばあさんは、私に、一冊の本をくれた。それは、夢の中の私の記憶では、トモコがかつて私に見せてくれたことのある、とても素敵な本だった。ああ、サル―に連絡しなくちゃ。それと、トモコにも連絡しなくちゃ。ここでも結局私は、この二人にいきつくのだな。
白いトラックと、大道芸人たちのふわりと白い扮装と、本の表紙の白さ。長屋の苔むした黒ずみと、大きな繁華街の建物の黒さ(まだ夕刻になっていないはずなのに)と、本の表紙に掲載された一枚の写真の黒さ(確か何か写っていたけど覚えていない)。
あのおばあさんは、誰だったんだろう。あのおばあさんはきっと、もうひとりの私だ。私を迷うことなくどんどん先へと導いている。私が慌てても、不安になっても、へいちゃらで、私を次の扉、次の扉へと導いている。


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2017年のテーマ、を決めました。
「素直にひとり」にします。これで、今、すとんと来た。

2016年は「斥力を使え」
2015年は「稜線を行く」
2014年は「聞くを愛する」
2013年は「ときわ」
2012年は「これを、ひらく」
2011年は「クラシック」
2010年は「やりたい」
2009年は「過去と未来をつなぐ」
2008年は「恩返し」
2007年は「一矢を報いる」
2006年は「実りの年」

2016年は、本当にむずかしい1年でした。引力や重力はもちろん、斥力さえも自らのパワーに変えるという不条理の極みのチャレンジの日々。特に最後の3か月は、身体と心のきわを日々心眼で目視しつつ、細いしかしそれなりに芯のかたい木の枝を出来る限り地表奥深くに突き刺してしがみつきつつ、寄せては引く津波のようにやってくる疲労と仕事とに押し流されそうになりながら生きました。2016年の年末、ようやく海が凪いで、それでも次のしけや津波がまだ予測される緊張感は去らないまでも、こうして例年通り、新しい年のためのモットーを考えることができるのは、私が頑張った結果ではありますが、それでも、単にラッキーだったからでもあります。
生きながらえた偶然に、感謝しています。

そんな苦しさの中で気づいた、大切なことが2つ、ありました。
1)既存の社会とは、「人に害をなさないための工夫」だけを教えてくれる仕組みなのであって、「自分をいつくしむ」方法はただの一つも教えてくれない仕組みだということです。
20代後半に社会人と言われる立場になってからというもの、よく、「自分を大事にしなさい」「仕事しすぎ」「健康第一!」と叱られていました。でも私は、どうして叱られるのかわかりませんでした。「人のため」「いわれたことを従順に」「できるだけ失敗を少なく」することで、「人に害をなさないようにする」という、生まれてことかたずっと教え込まれてきたことをただただ一生懸命やっているだけなのに、なぜしかられるのか。人の役に立つこと、他者のためになること、社会のためになることしかやろうとしていないのに、いったいなぜ・・・? 
でも、今年身体を壊したことで多分、ようやくハタと気づいたのです。
なんだ!自分を大切にする」ということは、みんな、人から教わるのではなく自分で考えているのか!知らんかった!と。
だから、2017年からは、「自分を大切にする」という、私にとっては完全に未知との遭遇のフィールドに入っていくのだという思いがありまして、それをテーマに入れ込めたらなあと思っていました。

2)私は、一人ぼっちがダメな甘えん坊だと思って生きてきたのですが、実はむしろ逆で、「ひとりでいたい」という気持ちをぐっとこらえて人と一緒にいる努力をし続けて生きてきたのだ、ということです。ひとりでいたかったのに、誰かと話をしないといけない。でも、誰かと話すことはとても大変。だから、相手の意見をできるだけ優先し、自分の意見を特に持たないようにする。叱られそうになるよりも前に、叱られておく。あるいは、さきに謝っておく。相手質問を受けたら、「すみませんすみませんすみません」と言って終わりにする。モラハラ構造を、内在化させていたということです。
・・・。
だから、私はずっと、自分が無責任で自主性のない、意見をもてない、価値のない人間だと思って生きていたように思います。
けど、それは実は、組織や構造に組み込まれるように仕向けることを、「自分を大切にする」ことに優先して生きてきたからに過ぎないのでは? そういう命令を社会から受けたからただただ従順にそうしてきたのではないのか? もっというと、私はそのくらい、馬鹿がつくくらい、シンプルというか素直というか真っ白無色透明な単細胞人間なのだ、ということなのでは・・・? もちろん、「そうしろって言われるからそうしてるんだけど、なんか、あちこち痛いし苦しいし疲れるなあ」とはずっと思っていたのですが。

しかし、この年末、社会の垢やひずみや構造や記憶をすべてこそげおとして、ただただ「ひとり」になってみて、よいのだよ?と私の中の声がささやいているのが聞こえます。
その声の主は、何やらにぎやかに、誰かいろいろな人たちの発する声と、言葉を交わし合ってもいるようです。
つながりや、しがらみや、遠慮や、執着や、人の作った慣習を丁寧に洗い流した後に残る、梅干しの種のなかにひそむ仁のような私が、たぶん、ずっとずっと、無傷なままで、私の内側に眠っていたのではないかしら、なんて。それが、単細胞アメーバの鎧がずっとずっと、守ってきたのではないかしら、なんて。

その、内側の内側にいる私は、ひとりを愛し、ひとりで生きることを、とても大切に思っているのではないのかな、なんて。
2017年から、ひとりで生きることを、もう遠慮しない。勝手に、いもしない相手に対して遠慮しながら生きない。ただ私自身が好きになれるひと、もの、自らを高めたいと願うその思いに対して誠実にいるということを、始めたいと思います。
48年もギプスをしていたので、骨の形もまがっていると思うけれど、でも。丁寧にほぐしつつ、「わたし」というひとりを、マッサージしながら立たせて行きます。

2017年は、本当にたどり着きたい頂上があるなら、迷わずひとりでのぼります。
その頂きから「おーい」と叫んだら、向こうがわやあっちの山の頂に、やはりひとりでのぼっている影を認め、私は賑やかに、その声に語り掛けることでしょう。
遠慮や杞憂やうそっぱちの善人魂を、2016年のブラックホールに放り込んで、2017年にひょいと飛び移ります。

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今朝方、面白い夢をみた。
誰かと話をしているんだが、それが誰なのかはよくわからない。
話題に出るのは、私の知らないことばかり。
「…ってなに?」「あ、わかった、わたし、***って何のことか分かってなかった」「○○○って…とはどう違うの?」と尋ねるばかりの時間が、穏やかで楽しかった。

いろいろなところで口にしていることだが、私は15歳から、学校に行くことができなくなった。
理由としては、友達を作る方法がわからなくなったから、だと思う。
「自分はとてもだめな人間だから、誰かに守られなければ生きていけないし、守ってくれる人の言うことは聞かないといけない」と、いったいいつから思うようになったのか、たぶん小学校に入った頃からだと思うのだけど、中学生くらいのときにはもう、その理屈がそのまま通るように立ち回っていた記憶がある。
均衡が崩れそうになると、人にいじめられたり、人をいじめたりしていたような、気がする。
でも、高校に入ったら、人間関係をゼロからつくらないといけなくなった。
中学までは、小学校からの持ち上がりだったけれど、高校からは、知らない人ばかりが周囲にいた。
おろおろしていたら、クラスという社会が出来上がる前に、クラスからあぶれてしまった。
夏休み明けから、高校に通わなくなった。
そこで自分を、壊さずにいられたのは、そんな私を肯定した大人がいたからだ。
「今を味わうことが人生です」と、言ってくれたその先生は、数年前に亡くなった。

この思い出話を、こうして言葉にできるように、いったいいつから、なったんだろう?
今朝方みた夢を反芻してみて、ふと、高校1年の自分に手を差し伸べてみたくなった。

自分を主張するのではなくて、相手への関心に正直でいる生き方。
相手の関心を理解するために、質問をし続ける生き方。

ほんとうは、私はずっと、その生き方をこそ、したかったのだった。
「本当の自分」の礎は、自分の意見とやら、ではなく、人の意見をたくさん聞いて、理解できた事柄の束のほうだった。

少なくとも、家や学校では、そういう生き方を意識的に教わったことがない気がする。
このことは、家や学校を私が愛していないという意味では全然ない。
でも、そういう生き方を身をもって教えてくれて、そして肯定してくれる場所は、組織の中ではなく、一対一の人との関わりの中にこそあった。
それは、生身の人間との関わりだったり、本のなかの登場人物との関わりだったりしたが、いずれにも共通しているのは、それがみな、すくなくとも私においては存在している人たちであり、かつ、「他者を殺さない」という命題と、自分なりに真摯に向き合っている人たちだということだった。

天命を知るべき(?)年齢まであと2年足らずとなってわかったことは、
「クラスになじめない」という悩みは、性格や症例、ましてや過去のトラウマなどにあてはめて分析して済む問題ではなかったということだ。
あれは、小さい悩みでは、全然なかったということだ。
あれは、ものすごく重要な気づきの入口だった、ということだ。
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今ふと「あ、分かった」と思ったことがあるのでメモをしておく。あとで読んでも何のことなのか分からなくなっているかもしれないけれど、いや、でも、書いておけば、少しくらいは思い出せるかもしれないし。いや、やっぱり思い出せないかもしれないけれど、それでも。

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魂には老いるということが全然ない。幼い魂も、熟練の魂もない。

魂は、その磨き方次第で、輝きが増すことも減ることもある。でも、「磨く」ことは「研ぐ」ことであってはいけない。
たとえばダイヤモンドは、カットという人為的な工夫によって輝きを増す。
でも魂は、研いだり削ったりするのではなく、そこに積み重なる塵や埃を毎日丁寧にふき取り続けることによって、本来の輝きを見せる。
それは、魂はそれ自体が発光体なのに対して、ダイヤはそれ自体が光を放ってはいないからだ。

魂が光を放っていないようにみえるのにはきっと、理由はふたつある。
ひとつは、埃の堆積によって、光が失われたように見えるとき。
もうひとつは、ふき取るのではなく削ることによって光らせようとして、魂それ自体が壊されかけているときだ。

ひとつめのケースについて。
埃が堆積する理由はたぶん、ふたつある。
「ふき取り」つまり「問い続ける、考え続ける」という行為をやめたとき。
あるいは、魂ときっと同じ成分でできている、「好きなこと」という「水」につけることを、しなかったとき。
このふたつの理由が連関することによって、埃は堆積する。

ふたつめのケースについて。
削ることは、おそらくしないほうがいいのだ。
大きく傷をつけてしまうと、魂を覆う膜がはがれて、ナカミが外に出て行ってしまう。
しかし、研磨すると、埃があっという間にきれいになるので、ついつい、拭いたり洗ったりするのではなく、安易に、研磨することを選んでしまう。場合によっては、多額のお金を払って、研磨をしてもらうことさえある。
でも、研磨のやり方を誤ると、最悪の場合は、魂が溶けだしてそこから去ってしまう。

面白いことに、堆積する埃が、望まない研磨から、魂を守ってくれることもある。
埃は汚く醜く見えるけれど、それがこびりついているとき、研磨という「良心の刃」から、魂は、守られる。

そんなこんなで、魂の形や光は、人為的に変えることはそもそもできない。
だから、赤ん坊の時の私と、今の私は、きっと同じ魂を持ち続けている。
おばあさんになった時の私の魂は、10歳の時の私の魂と、だからきっと、同じだ。

魂には、年齢はない。
肉体年齢に惑わされて、魂も老いたなんて勘違いしてはいけない。
年を取っているからといって、その人の魂には、老いも若さもない。魂は、ただ、魂でしかない。
でも、魂は、弱くなっていくことがきっと、ある。
研磨によって形を変えられたり、傷をつけられたりしていると、魂はだんだんと、弱くなるのだ。
魂にはもともと、強さも弱さもない。強い魂というのは語義矛盾だ。

でも、傷ついていようといまいと、魂は、魂だ。
魂が本来持っているエネルギーを、自分や人に渡すことが一番できるのは、魂が肉体に宿っているときだ。
肉体をもたない魂にも、エネルギーの出し入れはできるだろうけれど、その出し入れが知覚されないという難点がある。
肉体は、その肉体を借りて魂がエネルギーを自分や人とやり取りできる時間があとどのくらいあるのかを、可能な限りでの明確な情報として、自分や人に教え続けてくれるためにある。

だから、肉体は、たとえて言うなら砂時計と似ている。
ことばという圧倒的な回路を使って自分と他者がやり取りできる時間があとどのくらいあるのかを、老いというメジャーが教えてくれるんだ。
肉体の老いはだから隠してはいけない。
肉体の老いを隠したりごまかしたりすると、その魂とつかってやり取りできる時間を、読み間違えてしまう。

そうそう、もうひとつ。
>そんなこんなで、魂の形や光は、人為的に変えることはそもそもできない。
だから、赤ん坊の時の私と、今の私は、きっと同じ魂を持ち続けている。
おばあさんになった時の私の魂は、10歳の時の私の魂と、だからきっと、同じだ。

さっきこう書いたけれど、じゃあ、10歳の私は、おばあさんになった私と、同じ人格なのかっていうと、それはもちろん、違う。
それは、10歳の私が知らないことを、おばあさんになった私は、たくさん知っているからだ。
人格は、記憶によって変化する。
でも、10歳の私とおばあさんの私は、同じ私だ。

となると、ひょっとしてだけど。
私の魂、あなたの魂、彼女の魂は、ひとつひとつ、違うものではないのではないかなあ。
ひょっとしたら、それは全部、おんなじ一つのもの、なのではないのかしら。
おんなじ一つのものだっていうことが嫌だと思うと、研磨したいという欲望が襲ってくるのではないかしら。
おんなじ一つのものだっていうことが素敵だと思うと、水につけたりふき取ったりするのが楽しくなるのではないかしら。
いや、でも、やっぱり、魂は複数形だという確信みたいなものも、その一方で、やっぱり、ある。
複数形だけど、ひとつ。矛盾してるけど、なんかそうとしか言えないような、そんなかんじの。

なんか、そんなことを、ちょっと、いま。
ああ、もう、自分が何を言いたかったのか、忘れかけてるけど、まあ、いいや。

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3月下旬、長崎へ出張に行っていました。
人生初長崎。
私はもともと、あまり「旅」には興味がないほうです。インドア派です。
でも、今回は、同行してくださった方の素晴らしい配慮や気遣いなどのおかげもあり、実に面白い時間を過ごしました。

キリスト教信者の布教が本気で行われた場所。
キリスト教排斥が、本気で行われた場所。
昔から、中国や韓国との関わりが深かった場所。
だからこそ華僑もたくさんいて、中華街も、りっぱな唐寺がある場所。
江戸時代、出島が置かれた場所。
港があり、昔から外に向けて開かれ続けてきた場所。
平地がすくなく、勾配の上に居住地が作られた場所。
海援隊が組織された場所。
たくさんの人々が、信仰ゆえに苦しみ続けた場所。
海の幸が豊富で、世界中の料理が食べられる場所。
60年代風の純喫茶がまだたくさん残っている場所。

ここに生きた人々が抱いた夢や希望の大きさ、広さにも、ここに生きた人々の苦しみや覚悟の壮絶さも、
どちらもスケールが大きすぎて、「劇的」であることこの上ない町。

でも。
私の最近のテーマは、それ自体ひとつの出来事にすぎない(たとえ大量殺戮でさえも)ものに、ドラマの文脈でお化粧をしたくなる思いに徹底的に抗って、その出来事そのものの輪郭を見極めるという挑戦です。
簡単ではないのだけど、腹をくくると、少しずつ、できるようになるのではないかと思っています。

ドラマの文脈とはつまり、その出来事に対して、他者になろうとする運動の産物だろうという気が、私はします。
私は、その出来事に対して、常に主体的にいたい(追体験する、という言葉さえも、ドラマ化に吸い寄せされてしまいそうで、私は使いたくない)。

例えば、納得して殉教したキリスト教徒がかつていたとするなら、その「納得」の内実を自分のこととして理解したいし、納得するどころか騙されて辱められて殺されたひとがいたとするなら、そこにどんな感情が渦巻いたのかを自分のこととして考えたい。人知れず餓死させられた人がいたら、それを可愛そうだと思わずに、死ぬ間際まで身体が否応なしに持ち続けたに違いない「生」への志向のバトンを想像し、受け取りたい。

今、たまたまキリスト教徒のことだけを例に出しましたけれども、それ以外のどんな人々に対しても、こういう思いは変わらないなあと思いました。

「かわいそう」という思いに、ここ数年、興味、価値も見失いつつありましたが、長崎で見聞したさまざまが、この傾向に、ぐぐっとさらに踏み込ませてくれたかなあと、そんな気がしています。
「かわいそう」かどうかは、本人の問題なんだ。ほかの人が決めることではない。
本当に大切なものは、まっさらな「それ」の、その向こうにだけ、ある。

そんな思いを抱きつつ、仙台に戻ってきました。
さて、新学期です。
仕事の山に押しつぶされそうになりつつ、それでも自分の固く長い軸を、大地に深く深く差し入れて、大きくまた一歩を踏み出したい、2016年度です。

写真は、長崎のブティック「亀山社中 日英同盟」で出会った、仙台の作家さん作のペンダント。テーマは「宇宙」だそうな。今はじめた修行が一区切りつくまで、しばらくはこれをつけてます。
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おかげさまで12の倍数の年齢を迎えました。
昨日はちょっと動悸がしたりして、ああ、いろいろと老朽化が始まっているのだなあとぼんやり感じながら眠りにつきました。

ここ5年くらい、自分の中の何かが急成長を始めて、いろいろなものを突き破って、ジャックと豆の木に出てくる豆の木みたいにすごい勢いで成長しているなあ、そんな印象を自分で持っています。
そのことと連動してなのでしょう、毎日がとても、とても、忙しいです。
「仕事をもっとセーブしなさい」
「無理は禁物」
「体調管理も能力のうち」
などと噂されたり直接言われたりしながら、一生懸命生きている感じ。
そんな毎日を過ごしているなあと思いつつ、こうして節目を迎えてみて、さきほどふと、思いました。

さよならだけが 人生だ

ということば、ありますね。
一期一会とか、人との出会いは儚いものだからたいせつにするといいということのたとえだとか、そんなふうに教訓的なニュアンスで言い換えられる言葉なのだろうなあと漠然と思っておりましたが、なんだかさっき、そうじゃないぞって気づいて、すとんと、腑に落ちました。

折しも、卒業やら転勤やらと、異動と移動のシーズンです。
ですが私は、そんなシーズンであろうとなかろうと、「この人とは明日もう会えないかも知れない」と、私は常に、思いながら過ごしているらしい。
普通に授業で出会う学生たちにせよ、職場の同僚たちにせよ、家族にせよ。

でも。
「もう二度と会えないかも知れない」と思っているからといって、私はどうやら、それを悲しいとか寂しいとか、あんまり思っていないみたいなんです。いやむしろまったく逆で、大好きで大切で仕方がないものや人々に対してしか、「これが最後かもしれない」と毎日心から思ったりはしないんじゃないかということに、さっき、気づきました。そのくらい大切なモノたちや人々に、私がこんなにであってしまっているという事実は、圧倒的。
だから今のところ、私には、別れがあんまり寂しくありません。

「好きになる」ということは、その「好き」の対象とはもはや、別れるということが、ないんですな。

だから、「さよならだけが 人生だ」という言葉を翻訳したら、「私にはこんなに大切で大好きなものばかりがある。人生ってすげえなあ」という感じになるんです、私の場合。

でも、家族とは、もうちょっと、ちゃんと一緒にいるようにしないとだな苦笑
はい、そうします。
あ、病院、行きますちゃんと。誓います。

皆さんの門出を心からお祝いします。

ご卒業おめでとうございます。
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前の大学にいた頃、まだ専修に進級していない1年生を対象とした「選択基礎演習」というのを2年間担当した。今年は、この2年目のクラスにいた皆さんが、順当に行けば大学を卒業する年にあたっているはずで、感慨深いものがある。そういえば、あの学校の最後の授業が、このコマだった。
この授業の冒頭で、2年連続して、横浜聡子『ウルトラ・ミラクル・ラブストーリー』を見せてディスカッションをしたものだった。気づいたらあれから3年半が経過した。折も折、今の職場の4年ゼミ(つまりあの「選択基礎演習」2年目の皆さんと同じ学年ということだな)の面々と一緒に、3年半ぶりで昨日、この映画を見た。3年半前といえば、ちょうど濱口竜介レトロスぺクティヴが、今はなきオーディトリウム渋谷で開催されていた頃。あまりの熱量に、横浜聡子作品が、あのあと私の視界から消えてしまっていた、ということに、昨日、4年の面々に何を見せようかと考えていた折に思い出したのだった。「視界から消えた」という言い方は、実感として正しい。私が飽きたのでも忘れたのでもなく、ただ、視野から消え失せてしまっていたのだった。
はじめてこの作品を見たのはいつだっけかなあ。確かリトルモア地下で飴屋法水の「三人いる!」に通いつめていた時に、この映画のポスターを見たような気がするなあ。

今改めてこれを見て、つくづく、いい映画だなあと実感する。かつて見た時も好きで好きでたまらない作品だと思ったけど、今になってこれを見て、作品の奥にまでさらに深く潜った気がした。
昨日から今日にかけて、いろいろとほかの仕事をしつつ、昨日の作品鑑賞を振り返っていてふと気づいたこと。今日の今日まで、この「陽人」によく似た人が、私の周囲にはたくさんいるなあと思ってきたし、実際それはそのとおりなのだけれど、ひょっとしてひょっとすると、私のことをこの「陽人」に似ているって思っている人たちも、もしかするといるのかもしれない。自分では到底そんなこと考えられもしないし、むしろたくさんの「要人」と関わりながら生きているぶん自分は「町子」に近いよ、というのが主観的な思いだけれど、でも、人が私のことをどう考えているかなんて、私には全然わからない。意外にも「間瀬は陽人っぽいとこある」なんて、そんなふうに思われたりも、するのかもしれない。

それにしても(ネタバレ含む)
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2016年のテーマは「斥力を使え」にします。
今、3時間くらい考えて考えて、ストンと来ました。

斥力。類義語に、反発力というのがありますが、これだと妙に説明的で、しかも重要な部分が抜け落ちているように感じます。私が今イメージしている斥力とは、この「反発」とは似て非なるものです。

S極とS極、N極とN極を合わせようと力を入れれば入れるほど、しかも、力任せに接触させてみればみるほど実感される、けっして「合わない」、あの感じ。
「あっちの自分」と、まったく同じだからこそ、そこから離れようとする、あの感じ。
同じ極がそこにあるからこそ生じるあの逆向きへの力には、引力のピタッとした「わかりやすさ」とは全然違う強度がある。

引力は気持ちがよくて明快ですが、斥力には、そうした気持ちよさ、わかりやすさは、ありません。
でも、考えようによっては、斥力があるところでは、引力があるところと同じくらいには、私は誰かとともにいる、ということなんじゃ、ないかなあと。
それでも、脊髄反射的には、それは退けたいなにかだ、思ってしまう。
だから、命令形を使うことにしました。
「斥力を使う」ではなくて、「斥力を使え」にしたのはそうしたわけです。

この写真は、斥力を使いたいと私が思い至るところまで一緒に歩いてくれた、そして来年も一緒に歩いてくれるはずの、わが敬愛する引力たちのイメージです。

斥力を使え。

そういえば来年は私、年女なんです笑
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2015年は「稜線を行く」
2014年は「聞くを愛する」
2013年は「ときわ」
2012年は「これを、ひらく」
2011年は「クラシック」
2010年は「やりたい」
2009年は「過去と未来をつなぐ」
2008年は「恩返し」
2007年は「一矢を報いる」
2006年は「実りの年」

さて、2016年は・・・。
今のところ、「重心」という言葉をためつすがめつ、舌の上を転がしているところ。
たいてい、12月に思いついた言葉が、最後の最後に別の言葉に化ける。

これやり始めて11年目に入るのだな。
死ぬまでつづけることにしよう。

これを見るだけで、その年の自分のメインイベントたちをすぐに思い出せると今気づいた。
面白い。
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さる:親方、うまそうな黒豆ですぜ
親方:ああ、いかんいかん、まだ食うてはならん。
さる:いっこだけでも?
親方:いかん。これは正月にみなでいただくのじゃ。
さる:え~、けちっ
親方:来年はお前の年じゃのう。来年一年、丈夫で健康でいられるように、「まめ」でいられるようにと願って、正月に黒豆をいただくのじゃ
さる:(もぐ、もぐ、もしゃ、もしゃ)
親方:ああ、これ!つまみ食いはいかんっ

ふと気づけば私どうやら来年、年女らしいです。
35年前に亡くなった祖母が大事にしていたらしいこのさる使いの人形を、5年ほど前に亡くなった祖父から形見分けでいただいていたのを、今さっき思い出しました。
べつに自分の干支を意識したからこれをいただくことにしたわけではなかったけれども。

新年を迎える前に黒豆のつまみ食いをするこのちびっこいおさると親方のコンビ、これまではいつも家の本棚の片隅に置いているだけでしたが、来年は主役級の扱いにして、見えるところに置いて1年過ごそうなあと思います。
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