「年度末台風」が依然として吹荒れる中、横に放り出してあった、自分の研究と論文書きに、少しずつ重心をシフトし始めているところ。そうなってくるとどうしてなのか、ツイッターではなくブログが書きたくなる。
フランス語は、19歳からNHKのラジオ講座を丸暗記しはじめ、20歳からはスクールに通って習った。
このスクールで最初に登録したクラスの先生は、フィリップ・バロスという名前だった。
日本にたぶん、合計して3年くらいいたんじゃないかなと思う。
なにせパフォーマティヴな授業で、退屈するということがなかった。
最初があの先生の授業でなかったら、私はフランス語の深みにははまっていなかったかもしれない。
なんせ、最初の1年間、教室や家で、フランス語の「勉強」のことで努力した記憶がない。
気が付いたら、間違いはいっぱいあっても、けっこう長く話せるようになっていた。
あの、「気が付いたらできるようになっている」という魔法のような授業を、自分の理想形として持っていることは、たとえ、その理想形が、教師となった今の自分にとってはちっとも実現可能じゃないという現実に直面しているのは確かであるにせよ、幸せなことであるに違いない。
「ああなりたい」と思えるものが、イメージ化できるというのは、とっても有難いことだ。
で。
バロス先生の話を、こんな実名を挙げてまで出したのは、一昨日、久しぶりで先生の名前を活字で見たからだ。
ちょっと必要があって、細馬宏通著『絵はがきの時代』のレビューみたいなものを書かなくてはいけなくなって、はじめてこの本をきっちり、読んだのだ。
そしたらこの本の中に出てきたのだった、「フィリップ・バロス・コレクション」の話が。
そうそう。確か、私があのスクールに通った2年目あたりに、バロス先生の絵はがきコレクションが、写真入りで新聞に掲載された。
そして、そのコレクションが、どこかの展覧会で公開されたと思う。
心の視野がうんと狭かった私は、「自分の好きなバロス先生」のコレクションだからといって、その展覧会をわざわざ見に行ってみようとは思わなかった。
たかが絵はがきに、どんな価値があるのだろう・・・という先入観が勝った。
結局、私はこの展覧会にこれといった興味は示さなかった。
そして、その1年後位に、バロス先生は、日本を離れた。
私は、大好きだった先生に、最後まで名前をきちんと呼んでもらえないことを、ぐずぐずと気に病んでいた。でも、そういう気持ちを流暢にフランス語で伝えるレベルには、達していなかった。
先生があと数日で日本を離れる、と言う時、スクールの庭で先生を見かけて、小学生が大好きな担任の先生をじとーっと見つめるかのような、そんな目つきで見つめた、という記憶が残っている。
先生は、困ったような苦笑いを浮かべていたっけな。
そして、『絵はがきの時代』を縁に、私は、あの展覧会の図録を古書店のネット検索で見つけた。
その本が、一昨日ようやく届いたのだけど・・・。
日本人が、こんないろいろな絵はがきを愛でながら暮らしていた時代があったということとか。
初級者向けの、短いフレーズをしゃべっているところしか見たことがなかった先生の、きちんとした長い文章の行間に、あのパフォーマティヴな授業で感じた息遣いとはまた異なった、絵はがき研究者としての緻密さを発見したりとか。
私をフランス語の世界へと迎え入れた先生は、日本語は最後までしゃべれないままだったけれど、それでも、絵はがき収集家という立場で、私の国を好ましく思ってくれていたのだということが、実感として伝わってきた。
なんか、そういうことが、すごく、嬉しかった。
それにしても、「かえるさん」の『絵はがきの時代』は素敵な本だ。
一枚の紙片に残された、人々のさまざまな想いを、絵はがきを、モノとして、あるいは絵として、さらには紙として、または作品として、丁寧に観察し、その観察の結果を踏まえて、20世紀初頭の日本に生きた人たちと、私の間の距離を、一瞬でも確実に縮めてくれる。
19年は、やっぱり、一昔なんだな。
私もずいぶん、変わったな。
でも、変わってないところもあるけど。
こういう出会いがあると、なんだか、この先もとにかく頑張って進んでみようかな、なんて、ちょっと殊勝な気持ちになれるものだな。